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 とりたくて・1


 大変です。大事件です。
 友達ができました。
 それも男の子です。少し前の私ならありえないことです。異性の友達ができるなんて。
 同性の友達すらできなかった私に、神様はものすごい出会いを与えてくれました。
 でも私は不安を覚えています。
 友達とはいったものの、彼とどのように接すればいいのか私にはわからないのです。
 彼はとても優しそうな男の子です。私がこれまで会ってきた異性の方とは全然違って、柔らかい印象を受けます。
 だからそんなに不安になることはないとは思いますが、それでも不安なのです。
 彼を怒らせてしまったらどうしよう。
 彼がひどいことをしてきたらどうしよう。
 彼に嫌われてしまったらどうしよう。
 あらゆる不安が私を覆います。
 それを払拭することは簡単ではなく、私はまるでがんじがらめに縛られたように何もできなくなってしまいます。
 勇気がほしい。
 彼を恐れない勇気が。

          ◇     ◇     ◇

 私の父はある企業の社長で、いろいろな事業を展開して結構な成功を収めています。
 つまりは私の家は余所よりも裕福な家で、私は生まれた時から不自由なく育ってきました。
 子供の頃にそれを意識することはありませんでしたが、小学校中学校と進んでいくうちに嫌でもそれを意識するようになりました。
 周囲の扱いが他とは明らかに違ったからです。
 私よりもずっと年上の方々が私に対して気を遣うのです。それは見ていて滑稽でしたが、父や会社との関係を損なわないためにそれはその方々にとって必要だったのでしょう。
 中学に上がると私はより自分の立場を理解しました。
 邪な考えを抱いて近付く人間が多くなりました。はっきりそうわかるわけではありませんでしたが、なんとなく同級生からそれを察する機会が増えたように感じました。
 でも私には、私自身には何の力もないのです。
 父は仕事を家庭に一切持ち込まない人でしたし、優しさと甘さを区別する人でもありました。私は不自由なく過ごしてきましたが、それは一般的な枠内に収まる範囲だったと思います。
 私に近付いても何のメリットもないのです。
 加えて私は気を強く持てない性質でしたし、人付き合いも得意ではありませんでした。小学生の頃からずっと本を読んで日々を過ごしてきた人間です。
 不器用が災いしたのでしょうか、やがて私はいじめられるようになりました。
 理由があったかと言えばないと思います。あえて言うなら私が使えない、無能だと知られてしまったから、端的に言えばむかつく存在だったから、ということになるのでしょう。
 靴や鞄を隠されたり、トイレの個室に閉じ込められたり、机に落書きされたりしました。
 それだけならまだ我慢できたのですが、強請られた時はさすがに困りました。
 それなりに小遣いをいただいてはいましたが、要求される額はそれだけでは足りなかったからです。
 傷つけられても私は我慢することができます。でもお金だけはままなりません。私は子供で、手にするお金も両親が稼いだものです。たとえ家が裕福でも、みだりに使ってはならないでしょう。それは私が額に汗して手に入れたものではないのです。
 私は強請にだけは抵抗しました。お金なんて持っていない。だから要求されても払えない。そう答えるとこづかれたり服を脱がされたりしましたが、私は答え続けました。
 誰かに訴えればなんとかなったのかもしれません。しかし私はそれをできませんでした。訴えるというのも勇気がいるものです。私には備わっていませんでした。
 そうやってひたすら我慢して、一年が過ぎました。



 中学三年の秋。
 私は見知らぬ男たちに襲われました。
 多分年上で高校生くらいでした。学校からの帰り道、いきなり羽交い締めにされて近くの公園の草むらに引っ張り込まれました。
 無理矢理押し倒され、乱暴な手つきで服を破られ、体をまさぐられ、私は突然の出来事に頭が真っ白になってしまいました。
 ろくに抵抗できないまま、私は裸にされました。彼らの下卑た顔が不快で目を瞑りました。触られる感触が肌寒くて身を強張らせました。彼らの話す声が耳障りで意識を投げ出しました。
 だからでしょうか。私はその時の記憶が曖昧になっています。
 気付いた時には、温かい腕に抱きかかえられていました。
 優しく抱きかかえてくれるその人は、私が最も信頼している人でした。
「愛莉(あいり)……?」
「はい、お嬢様」
 私の専属使用人が優しく微笑みました。
 周りには誰もいません。顔を起こして見るとそこは公園ではなく、自宅のベッドの上でした。
 ちょうど寝かせる途中だったみたいで、愛莉は少しだけ決まり悪げに微笑みました。
「愛莉……私……」
「お疲れのようです。今はお休みになってください」
「違います、私は襲われて……」
 愛莉は小さく溜め息をつきました。
「夢です……と言っても納得はされませんか」
「……」
「簡潔に申し上げます。お嬢様には何も、何事もありませんでした。どうかご安心ください」
「……愛莉が助けてくれたのですか?」
「はい。できれば襲われる前に駆け付けられればよかったのですが」
 体に目立った外傷はありません。多少軋みを覚えましたが、痛みもほとんどありません。
 本当に何事もなかったのでしょうか。
 私にははっきりとはわかりません。でも愛莉の目に誤魔化しの色はなく、体にも違和感はありません。だからきっと、本当に何事もなかったのでしょう。私はほっとするとともに愛莉に深く感謝しました。
「愛莉……ありがとうございます」
 すると愛莉は顔を僅かに歪めて私を抱き締めました。
「愛莉……?」
「間に合ってよかったです……本当に」
 愛莉の胸の中はとても温かく、私は安心しました。ここならば怖くない。何も恐れることはない。
 愛莉の体は少し震えていました。
 心配かけてごめんなさい。私がもう少し気を付けていれば、こんなことにはならなかったのに。
「……お嬢様」
「はい」
「しばらく学校はお休みになられてはいかがでしょう」
 心臓が強く跳ねました。
「……どうしてですか?」
「お嬢様はお疲れです。それに今日のようなことがまた起きないとも限りません」
 私は首を振りました。
「大丈夫です。いくらなんでも学校内でそんなことはありえませんし、外でもできるだけ人通りの多いところを通れば」
「お嬢様、無理はいけません。本当に何かあってからでは遅いのです」
 それは純粋に私を気遣う言葉だったのでしょう。しかし私はそう受け取ることができませんでした。
 私はこう思ったのです。
『ひょっとしていじめのことがばれてしまったのか?』と。
 私は誰にもいじめのことを言いませんでした。余計な心配をかけたくなかったからです。
 それは愛莉に対しても例外ではなく、この時もまずばれていないかどうかを先に考えました。
 今思えば愚かなことです。愛莉はいつだって私のことを思ってくれていたのに、私はそのことを少しもわかっていなかったのですから。
 愛莉は尚も私に休むよう言ってきましたが、私は妙に意地になって拒否しました。


 次の日、変わらず行った学校で私はクラスメイトの会話を密かに聞いてしまいました。
 トイレの個室にこもっていると、後から来てたむろしていた同級生の声が耳に入ったのです。
 彼女たちはいじめグループの中心にいる子たちでした。その子たちがこんなことを言ったのです。

「あいつ無事だったみたいよ」
「失敗したの?」
「なんかボディガードみたいな女が途中で邪魔したみたいで、最後までヤれなかったんだって」
「何それ? 金持ちってマジで護衛とかいるんだ」
「ありえなくね? 邪魔入らなかったらあいつも終わりだったのに」
「次よ次。邪魔されないように、今度はホテルとかに連れ込んでさ……」

 私は体の震えを抑えられませんでした。
 会話の内容は明らかに昨日のことを言っていました。
 昨日の出来事は彼女たちの仕業だったのです。
 しかもそれは終わりではなく、これからまた攻撃の矢が放たれようとしています。
 なぜ? なぜ彼女たちはそこまでやるのでしょう?
 私はそんなに憎まれる存在なのでしょうか。
 いるだけで目障りな、邪魔な存在なのでしょうか。
 私にはわかりません。人の悪意とはそこまで深く、暗いものなのでしょうか。
 彼女たちが出ていった後も、私はしばらく動けませんでした。
 教室に戻ることが恐ろしく、午後まで閉じ籠っていました。
 そして体育の時間まで待つと、誰もいない教室にこっそり戻り、急いで荷物を抱えて学校を出ました。
 怖い。
 人が怖い。
 あんなところにいるなんて、そんな恐ろしいことできません。
 愛莉に連絡して迎えに来てもらうまで、私の心は恐怖に覆い尽くされていました。


 自室で私たちは話をしました。
「お嬢様」
「……」
「今日一日、私はずっと落ち着きませんでした」
「……」
「日を置けばなんとか根回しをして対処もできたとは思います。しかし昨日の今日ではさすがに何もできません。今日だけは本当に学校に行ってほしくなかったのです」
「……」
「彼女たちはどこか感覚が麻痺しつつあります。それは人としてとても間違った方向です。悪意は、ときに意味さえも有しないものですから」
「愛莉は……知っていたのですか? 私がいじめの対象になっていることを」
「……」
「昨日の出来事があの子たちの差し金ということも、わかっていたのですか?」
「……昨日の輩に白状させました」
「……」
「学校でクラスメイトから何かしらされているとは思っていました。しかしお嬢様がそれを知られたくないと思っておられることもわかっていましたから、私は気付かぬふりをしていました。
 ですが……それは大いなる過ちだったと私は後悔しています。昨日のようなことがあるなら、無理にでも介入すべきだったのに。今日も引き止めていればあなたが嫌な思いをすることもなかったのに」
「……」
「もう学校には行かないでください。中学は出席日数が少なくても卒業できます。お嬢様の成績なら受験も問題ありません。しかし、学校内のトラブルだけは私にはどうすることもできないのです。受験間近のこの時期に彼女たちも馬鹿な真似はしないとは思いますが、絶対ではありません。もしクラスの男子を彼女たちがけしかけたりすれば──」
「……お父様に知られてしまいます」
「それがなんですか。旦那様はいつもあなたを想っておいでです。心配をかけたくないお気持ちもわかりますが、子供が親に弱さを見せるのは当然のことではありませんか」
「……かもしれませんね」
「弱さを見せるのは恥ずかしいことではないのですよ。どうか旦那様を、奥様を、そして私を頼ってください」
「……はい」


 しかし、私は結局高校に進学しませんでした。
 できなかったのです。人の悪意を知ってしまったがために、学校という特殊な空間を私は恐れるようになってしまいました。
 それどころか、人と接することさえ怖くなってしまったのです。
 異性の目が怖く、同性の目が辛く、世界が悪意を帯びて私を包んでいるような感じさえ受けました。
 しばらく屋敷から離れて生活させてはどうでしょうと、愛莉が父に提案しました。父はそれを了承し、私は愛莉とともに一軒家に引っ越しました。
 冬が過ぎ、春が訪れ、中学を卒業して、
 新しい季節を迎えながら、私の中にはいまだ恐れが残っていました。



 そんなとき、『彼』が現れたのです。

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