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ホワイトデーとキャンバスと・4


 駅の表通りの先には大きな広場がある。
 糸乃にメールを送ると、そこに来て下さいということだった。
 広場の奥に行くと、ベンチに座って二人が待っていた。
「あ、センパイ!」
 糸乃が笑顔で駆け寄ってくる。
「あいつらやっつけちゃいましたか? さっすが紗枝先輩です。玲瓏院流の有段者が負けるわけないですよね」
 紗枝は複雑な表情で後輩を見やる。無意味な暴力は振るいたくなかったのだが。
 視線を外して翔子を見る。
 どこか探るような目で見返してきた。紗枝は少し気圧される。
「──意外だった」
 翔子がぽつりと呟いた。
 何のことだろう、と紗枝は首を傾げる。
「もっとおとなしい子かと思ってたけど、武闘派だったのね」
「……」
 変な誤解をされているような。
 咄嗟に否定しようとしたが、その前に糸乃が答えた。
「紗枝先輩は普段は優しいけど、怒ると怖いんですよー。気に入らない相手は自慢の体術でばしっと」

「糸乃!」

 思わず発した短い声。
 しん、と静寂が一瞬辺りを包んだ。
 翔子が茫然と紗枝を見つめている。
 糸乃も目を丸くして固まっていた。
「……久しぶりに紗枝先輩の声を聞いた」
「……」
 紗枝は肩をすくめる。
「……驚いた」
 次いで翔子が呟いた。
「ちゃんと喋れるんじゃない。失語症とかそういうのかと思ってたよ」
 言われて紗枝はやれやれとため息をついた。
 別に喋れないわけではない。少しだけ、喋るのが苦手なだけだ。
 翔子はなぜかニヤリと笑った。
 そして糸乃に声をかける。
「ごめん、君ちょっと席外してくれない?」
「え、でも私センパイと、」
「お願い」
 糸乃は困った顔で紗枝に視線を送った。
 それに対して紗枝もごめん、と目配せする。
「……わかりました。あ、でもあんまり遅くならないようにして下さいね。センパイ、このあと用があるみたいですから」
 それじゃ、と糸乃は頭を下げ、バス停の方へと走っていった。しばらく行ったところで再び振り返り、元気よく手を振ってきた。
 紗枝はそれにひらひらと手を振り返す。
「かわいい後輩だね」
 翔子は面白そうに糸乃の後ろ姿を眺めやる。
「……」
 紗枝は答えない。
「なぜ二人っきりにしたのか、ね?」
 翔子は紗枝の心を読み取るように言った。
「……一度、こうして話してみたかったの。あんたがどういう人間か私はよく知らないし」
「……」
「聞きたいことも色々あるし、ちょうどいい機会だと思ったから。座ったら?」
 言われて紗枝はベンチに腰掛けた。
 夕暮れの広場にも人はいる。スーツ姿の会社員も、買い物帰りの主婦も、まだまだ遊び足りない子供達も。
 小さな喧騒の中で、翔子は朱い空を見上げている。
 聞きたいこと。それはきっと風見のことだろう。
 彼女が風見に告白したことは風見本人から聞いていた。
 委員の仕事で一緒になるくらいで、紗枝は翔子のことをよく知らない。
 翔子もそれは同じで、彼女は紗枝をどう見ているのだろう。
 恋敵?
「なんで喋んないの?」
 最初に投じられた問いは、それだった。
 少し予想外だ。てっきり風見のことを訊かれると思っていたのに。
「だんまり?」
「……苦手なだけ」
「喋るのが?」
 翔子は納得できないようだ。
「いや、だからってまったく喋らないっていうのは、」
「癖……だよ」
 紗枝は正直に答えた。
「……小さい頃から苦手だった。でもかざくん……風見くんは、いつも言いたいことをわかってくれたから……」
「……でも今はクラスも違うし、いつも一緒にいるわけじゃない」
「……友達に恵まれた」
 そう。それは本当に偶然な幸福だった。
「最初は家族と……風見くんだけ。でも、少しずつ友達が増えて……言いたいことをわかってくれる人が増えた」
 たぶん世間一般ではまずありえないことだろう。それは本当に僥倖だった。
 葉子が、糸乃が、あらゆる人が紗枝を受け入れてくれた。
 それは良いことでもあり、悪いことでもあった。紗枝の無口をそのままに残してしまったからだ。
「甘えているのかも……でも私……」
「甘えているわね」
 ぴしゃりと翔子は言った。
「だって、こんなにしっかり喋れているのに」
「……」
 紗枝は押し黙る。
「そんな綺麗な声してるのに喋らないの?」
「……」
「黙ってたらわからないよ」
「……そうだね」
 ズバズバ言うなぁ、と紗枝は苦笑い。
「……風見だって、いつまでもあんたのことをわかってくれるわけじゃない」
 翔子の言葉は重い。
 わかっている。この一ヶ月間で彼の想いを知り、距離を味わい、自分の気持ちを確かめた。
 気付いてしまったのだ。風見が紗枝をわかっているほど、紗枝は風見をわかっていない。
 こんなに長く一緒にいながら、彼の気持ちに気付かなかった。それは紗枝にとってショックだった。
 そして悩んでしまうくらいに、自分の気持ちさえわかっていなかった。
 もうただの幼馴染みではいられないのだ。だからこそ、紗枝は風見をもっと理解しなければならない。
 何より、紗枝自身が風見のことを深くわかりたいと思うから。
「……風見くんに告白されたの」
 翔子は複雑な表情になった。
「知ってるわよ。……今日返事するんでしょ。どうなの?」
 紗枝は目を剥いて相手を見つめた。
「風見に聞いたのよ。今日、バレンタインのお返しもらったときに」
「……」
「あんたの返事次第で私の出方も変わる。できれば聞かせてほしい」
 まったく物怖じしない娘だ。紗枝はやや気圧された。
 しかしそれは一瞬で、すぐに紗枝は首を振った。
「答えはやっぱり一番に風見に伝えたい?」
 頷く。
「そっか」
 翔子はどこかさばさばした顔で微笑した。
「訊きたかったのはさ、やっぱりそこなんだよね。あんたが風見をどう思っているか」
「……」
「でももう訊かない。なんとなくわかったから」
「……」
 翔子は微笑みながら一つ頷くと、人差し指をぴっと立てた。
「その代わりさ、風見のことを聞かせて」
「え?」
「幼馴染みなんでしょ? 私は風見の小さい頃を知らないし、聞かせてほしい」
 紗枝は逡巡した。時間はまだあるが、喋るのは、
「……」
 いや、と思い直す。苦手とか癖とか、そんなのは言い訳だ。
 理解のためには言葉が必要なのだ。相互の理解のために、紗枝はもっと変わらなければならないと思う。
 目の前の少女は風見をとても想っている。そんな彼女になら、風見のことを話してもいいと思う。
 紗枝の知る橋本風見を話したいと思う。
「……あんまり時間ないけど、いいかな?」
 翔子はにっ、と嬉しげに笑った。

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