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断らない彼女・6


          ◇     ◇     ◇

 亜季は歩きながら昔のことを思い出していた。
 雪成と出会ったのは四歳の頃。
 初めての異性の友達は、ちょっとだけひねくれていた。最初亜季が挨拶しても、目を合わせずに軽く頷くだけだった。
 元々の性格もあっただろうが、仕事で親が夜遅くまで帰ってこないのも、一つの要因だったのかもしれない。
 そこで亜季は自分の家に雪成をよく招いた。
 最初は嫌がっていた雪成も、次第にそれを受け入れていった。二人は一日のほとんどを亜季の家で過ごすようになった。
 ときおり見せる雪成の寂しそうな顔を、なんとかしたいと思っていた亜季は、少しずつ笑顔を見せるようになっていった少年の様子がとても嬉しかった。
 早生まれの雪成に対してお姉さんぶりたかった、というのもあったかもしれない。思えば亜季は、幼馴染みの世話をやたら焼きたがった。
 好きなお菓子は一番に譲ってやったし、困ったことがあればいつも助けてやった。
 そうすれば少年は、ぶっきらぼうだったけど、必ずお礼を言ってくれたから。
 少年を助けてやることが、何かをしてやることが、何より嬉しかったのだ。
 でも、それはいつまでも続かなかった。
 少年はいつの頃からか、もう少女の助けを必要としなくなっていて、お姉さんぶる必要もなくなっていった。
 それでも誰かのために何かをすることは嬉しかった。頼られることが嬉しく、役に立つことが楽しかった。自分にできることなら、亜季は喜んで引き受けた。幼馴染みはそれを快く思ってはいないようだが──。
(誰かの役に立つことの嬉しさを教えてくれたのはあなたなのにね)
 苦笑が洩れそうになる口をなんとか引き締め、亜季は校門へと歩いていく。
 そのまま門を抜けようとして、しかしその真ん中で亜季は足を止めた。
 塀にもたれかかるように、幼馴染みがすぐそこに立っていた。
 亜季は驚いて、その場に立ち尽くしてしまう。
 こちらに気付き、雪成が近付いてきた。
「終わったのか?」
「え……な、何が?」
「……告白されたんだろ。どうだったかって」
「あ、うん……」
 亜季は正志のことを思い出して、顔を曇らせた。
 しかし雪成を心配させたくなかったので、わざと明るく言った。
「断ってきたよ。うん。先輩も納得したみたいだったし、後腐れなし」
「……そうか」
 雪成は安心したような、しかしどこかこちらを案ずるような、複雑な表情を見せた。
 やっぱり心配させてしまったのだろうか。亜季は帰ろ、と短く言い、雪成を先導するように歩き出した。雪成は何も言わず、黙って亜季の横に並ぶ。
 横目でちらりと隣を見やる。
 相変わらず高いなあ、と内心でぼやく。背を抜かれたのは小学六年の頃だった。中学に入ったら雪成の身長は一気に伸び、今やセンチで175を数える。
 本当にもう、亜季の助けは必要ないのかもしれない。
 そんな自分が雪成の側にいるには、どんな立ち位置を取ればいいのだろう。
「……俺さ」
 不意に雪成が口を開いた。
 慌てて横目を戻そうとしたが、その表情に微かな緊張があることに気付き、亜季は思わずじっと見入ってしまった。
 雪成は軽い呼吸を何度か重ねると、立ち止まって言った。
「俺、亜季のことが好きだ」
 亜季の足も止まった。
 夕日が雪成の顔を朱に染めている。きっと自分の顔もそうだろうと、亜季は思った。
 赤面していたとしてもこれならごまかせるかも、とずれたことを思った。
 雪成は軽く髪をかき上げる。手が微かに震えていたのは気のせいじゃない。
「……今、言うの?」
「今じゃなきゃ、決心が鈍りそうだったから」
 亜季は呆れ笑いを向ける。
「……昼休みのときに言ってほしかったんだよ?」
「……悪かった」
「……私が先輩のところに行くとき、止めようとは思わなかった?」
「資格がないと思った。十年以上何もしてこなかった俺に、止める資格なんてない」
 資格。そんなもの、どうだっていいのに。
「そういうときは、強引になってもいいんだよ。少なくとも私に対しては」
「……悪い」
「ううん、嬉しいんだよ。私の知ってる雪成くんはもうちょっとひねくれていて、自分の気持ちなんて素直に言葉にするような人じゃないもの」
「……」
 不満そうな目を向けられたが、文句は来なかった。自覚はあるらしい。
「だから嬉しい。自分の気持ちを真っ直ぐ伝えてくれて」
「……」
 沈黙する雪成の手を亜季はそっと掴んだ。
「断るのって……辛いんだね」
「……」
「先輩の告白を断って、すごく心が苦しかったの。人の好意を受け取らないのが、こんなに苦しいなんて、知らなかったよ……」
「……」
「本当はすごく迷った。先輩は本当に優しくて、とても仲がよかったから。でも……でもね、昼休みに雪成くんの慌てる姿を見て、やっぱり断らなきゃ、って思ったの。雪成くんに慌ててもらえるくらいには、私も好かれているのかもしれない、って思ったから」
「……」
「雪成くんの気持ちが少し見えた気がして、勇気もらったから」
 自惚れた気持ちかもしれない。それでもよかった。
 亜季は、やっぱり、
「私ね、ずっとあなたの支えになりたかった。あなたのお姉さんとして、ずっと。でもそれも終わり。あなたの恋人になるには、姉弟じゃだめだから」
「……お前、忘れてるんじゃないだろうな?」
 雪成が眉をしかめて言った。
「……え?」
「昔、最初に言っただろ。俺に姉はいないって。姉はいらないって」
「……」
「もし覚えてるなら、あれの意味……今ならわかるだろ?」
「……雪成、くん」
 幼馴染みは顔を背ける。恥ずかしそうに、ぷいっと。
 亜季が雪成を恋愛対象として見るようになったのはいつのことだろう。
 たぶん小学生のときだ。彼が亜季の助けを必要としなくなって、そのうち背も追い越されて、姉弟である必要がなくなっていった頃。
 しかし雪成は、それよりもずっと前から亜季のことを想っていたのだろうか。


『……ぼくにおねえちゃんなんていないよ』
『だーかーらー、わたしがかわりにおねえさんするから』
『そんなのいらない!』
『わたしはおとうとほしいよ? なんでもきいてあげるから、なんでもいって』
『いわない!』


 亜季は、泣きたくなった。
「……バカ」
 うつむく亜季に、雪成は囁く。
「かもな……ごめん」
「違う……バカは私。そんなに前からそういう風に見ていてくれたことに、なんで気付かなかったんだろう、って」
「ずっと言わなかった俺も似たようなものだ」
「……うん。あなたはいつだってひねくれているものね」
 亜季は掴んだ手を胸元に引き寄せると、それを包み込むようにぎゅっと抱き締めた。
「でも、そんなあなたが大好きです」
 彼の想いに応えたい。自分の気持ちを伝えたい。抱き締めるその手の温もりを通して、少しでもその気持ちが彼に届けばいいと思った。
 亜季は頭を上げ、笑顔を浮かべた。
 雪成もそれに応えるように、優しい微笑を見せる。
「付き合ってくれるか?」
「うん──」
 見つめ合い、頷き合う。
 亜季は相手の手を握り直して、寄り添うように雪成の横に並んだ。
 繋いだ左手の感触は、少しだけ硬く、温かかった。
 もうただの幼馴染みじゃない。それが切なくて、嬉しくて、亜季はまた泣きたくなる。
 でも泣かない。今はまだ我慢する。帰ってからおもいっきり泣くのだ。それが亜季の最後の仕事だ。雪成の前で泣かないことが、お姉さんとしての最後の仕事だ。
「帰ろ?」
「ああ」
 二人は手を繋いだまま、ゆっくりと歩き出した。


          ◇     ◇     ◇


「アキー、宿題見せてくれない?」
「うん、いいよ」
 雪成は亜季とクラスメイトのやり取りを、席からじっと眺めていた。
 亜季は相変わらず人からの頼みごとを断らない。それはもう、亜季の性質として切り放せないものなのだろう。
「不満そうだねー、ユキナリくん」
 背後から楽しげな声がかけられた。雪成は振り返りもしない。
「別に不満なんかない」
 ぶっきらぼうに言葉を返すと、依子は前に回り、雪成の顔を覗き込んだ。
「んー、心配なのはわかるけどね」
「あいつの性格なんだから、もう何も言わねえよ」
「でも心配でしょ?」
「……」
 相変わらず人の心を見透かしてくる。雪成はうんざりした。
 しかし、依子は続けて言った。
「でも、前とはちょっと違うみたいだよ」
「……違うって、何が」
 依子はにっこり微笑んで、促すように左手を差し向けた。
 その先には、小さな幼馴染みの姿。
「亜季ちゃん、今日掃除代わってくれない?」
「あ、ごめんね。今日はムリ」
 聞こえてきた亜季の言葉に雪成は驚く。
「え? 何か用事あるの?」
 うん、と頷くと、亜季はくるりと雪成の方を見た。
 目が合って、雪成はドキッとする。
 亜季は楽しそうな笑顔で答えた。
「彼氏と待ち合わせしてるから」
 えーっ、と驚く女子達の声が響く。
 にやにや笑う依子を横目に、雪成は恋人から、真っ赤になった顔を慌てて逸らした。

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