◇ ◇ ◇
ある日のこと。
亜季の様子がおかしかった。
普段と違い、どうにも落ち着きがない。教室で席に座りながら、友人との会話にもあまり身が入っていなかった。
雪成は怪訝に思い、昼休みに直接尋ねてみた。
返ってきた答えは「なんでもない」だった。
もちろん納得などしない。
「いや、なんでもないことないだろ。今日のお前、なんか気が入ってないし」
「そ、そんなことないよ?」
「授業中に二度注意されて、休み時間も上の空で、移動教室間違えて授業に遅れた人間が何言ってんだ」
「ううー……」
亜季は小さく唸ると、ちらりと雪成の顔を見やった。
何か迷っているような表情で、すぐに顔を伏せる。
「言いたいことがあるならはっきり言えよ?」
「うん……」
口を開きかけて、しかし閉じる。そんなことを二度三度亜季は繰り返したが、なかなか思い切れないのか言葉が出てこない。
雪成はせかさなかった。ただじっと、話し出すのを待った。
やがて意を決したのか、亜季が口を開いた。
「えっと、ここじゃ人も多いから、別の所行こ?」
「いいけど、聞かれたくないことか?」
「できれば」
亜季は席を立ち、廊下に出ようとする。
後についていくと、亜季はそのまま階段に向かって進んでいく。
階段を上がっていく幼馴染みに雪成は首を傾げた。上の階は二、三年の教室が集まる所で、その先の階段は屋上に繋がっているが、学校側が開放していないので外には出られないはずだ。
しかし亜季は迷いなく階段を上っていく。仕方なく雪成もそれを追っていく。
屋上に通じる扉の前で亜季は立ち止まり、くるりと振り返った。
「あ、あのね」
「お、おう」
相手の緊張が伝わってきて、なぜか雪成まで固くなってしまう。
亜季はゆっくり息を吸い込むと、小さな声で言った。
「放課後にね、呼び出されてるの」
「……は?」
予想外の言葉にきょとんとした。
「……番長グループとかそういうやつ?」
「いつの時代の話? そうじゃなくて、えっと、男の人と待ち合わせの約束をしてるというか……」
「!?」
心臓が一際強く跳ねた。嫌な予感が。
「だ、誰? 相手は」
「二年の三原先輩。図書委員やってて、私よく図書館行くからそこで知り合って……」
「……待ち合わせって、何の用だよ」
「あ、デートとかじゃないよ?」
「なら何だよ?」
「……」
言い淀む亜季の様子に、なんとなく想像が間違ってないことを悟る。
雪成は胸が急速に締め付けられる思いに駆られたが、平静を装って尋ねた。
「で、どうするんだ?」
「どうって……わからないよ。いい人だし……」
息が詰まる。もしOKするなんて言われたら、どうすればいいのだろう。
すると亜季がじっと見つめてきた。
「……何」
「……」
亜季は何も言わない。
しかしどこか探るような目に、雪成はたじろぐ。
「な、なんだよ。言いたいことがあるなら、」
「言いたいことがあるのは雪成くんの方だと思う」
「……え?」
ドキッとした。
何かを期待するような亜季の目が、下から突き刺さる。
「私が断らないのを知ってるのに、それでも雪成くんからは言ってくれないんだね」
断らないとは誰に対してだろう。
「これじゃ役割があべこべだね。何かを言うのはいつも雪成くんの役目なのに」
「……」
雪成は固まって答えられない。
「言わないなら私から言うね。私は、」
「待てよ!」
咄嗟に大声を上げて言葉を遮った。
「……俺のこと全部わかってるような口ぶりはやめろ」
「……ごめん」
「言いたいことはある。でもそんな簡単に言えるなら苦労はしないだろ」
亜季がくすりと笑う。
「私だって一緒だよ。だから今迷ってる」
「迷ってるのか?」
何に、とは訊かない。放課後の件であることはわかりきっている。
「うん。とても、迷ってる。だから雪成くんに打ち明けたんだよ?」
「俺が断れって言ったら断るのか?」
「違う。そういうことじゃなくて、踏ん切りつけさせてくれるかな、って期待してたから」
「……」
「でもいいの。もうわかったから」
「え?」
「雪成くんに話してよかった。ちゃんと勇気もらったから」
「はあ?」
まったくわけがわからなかった。今のやり取りのどこにそんな要素があったのだろう。
「じゃあ、先行くね」
「あ、おい!」
雪成の横をすり抜けて、亜季は階段を駆け下りていく。
相手のいなくなった空間で、雪成は歯噛みした。
言いたいことがあるならはっきり言うべきだったのに。