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縁の切れ目 言霊の約束・9


          ◇     ◇     ◇

 守は白い息を吐きながら、夜目を凝らして依子を探していた。
 そんなに慌てるでもなく、屋敷の外を歩き回る。小降りの粉雪が僅かながらうっとおしいが、常夜灯が視界をかなりクリアにしていた。
 しばらくして、少し離れた東屋に人影を発見した。
 二つの影が見えた。声から一人は依子と判断する。ただ、もう一方から声は聞こえない。喋っているのは依子一人だ。
 誰と会っているのだろうか。
 目を凝らすと、依子よりも一回り小さい少女が、依子と共にベンチに座っていた。
 邪魔をしてはいけないと思い、守は物陰に隠れたまま待機した。
 ぽつりぽつりと呟かれる声が耳に届く。立ち聞きはしたくなかったが、鋭敏な聴力が嫌でも拾ってしまう。
 自分にも関係のある話のようだった。

          ◇     ◇     ◇

 依子は話した。姉のことを。守のことを。自分の気持ちのことを。
 どちらも大好きで、だからこそ迷っていることを。
 かつて依子は守に言った。相手を傷付けることを恐れて中途半端になってしまう、と。
 あのとき依子は、理解のためなら踏み込むと明言した。しかし今、果たして同じことを言えるかといったら、言えないかもしれない。
 あのときは縁視の力があった。だからあんなことを言えたのだ。だが今は違う。今の自分は裸に等しい。ただの弱い一人の人間だ。
 それでもいい。やるべきことは決まっている。依子はそれを包み隠さずに話した。
「もう私はマモルくんに会わない方がいいのかもしれない。会うと意識するし、向こうも私を意識する。でもそれだと、お姉ちゃんに悪いから」
(……譲るの?)
「譲るなんて……マモルくんは物じゃないよ。でもまあ、そんな感じ。私よりもお姉ちゃんの方が絶対マモルくんのこと好きだと思うし」
(……)
 それが一番だと依子は考えていた。守には悪いが、姉を悲しませたくなかった。
「随分とシスコンかもね。でも、そうしたいから」
(……本当に?)
 美春が首を傾げて言った。
 それは別に普通の、何でもないただの問い掛けだった。思念の響きも決して強くない、素朴な問い。
 なのに、なぜか依子は怯んだ。
(本当に、そうしたいの?)
 重ねられる問い。
「う、うん」
(……それで、あなたのお姉さんは幸せになれるの?)
「……え?」
 もちろん、と言おうとして、なぜか躊躇した。
 どうして。
(……私はその人と会ったわけではないから、本当のところはわからないけど、でももし私がその立場なら……嬉しくないと思う)
「……」
(その決意はお姉さんと話をして出した結論なの?)
 依子は首を振る。
 生霊の少女はため息をついた。
(それじゃ意味がないよ。一人だけわかったつもりになっても、一方通行になったらどうするの?)
「でも……」
(話をすること。あなたがお姉さんのことを大切に思っているのなら、なおさらね。お姉さんのこと苦手?)
「……ちょっとだけ」
(でも頑張らなきゃ。当たり前のことをやり抜くなら、お姉さんとちゃんと話さないといけない。そう、思う)
「……」
 厳しいな、と依子はうつ向く。
 話す。ただそれだけのことをするのにこんなにもためらってしまうのは、自分に勇気がないからだろうか。
(依子)
 名前を呼ばれて依子は慌てて顔を上げた。
 すぐ目の前に小さな手が伸ばされていた。
 驚く間もなく、小枝のように細い指が頬に触れる。
 ひやりと冷たい感触は、周りの寒々とした空気よりもずっと肌に浸透してくる。
(あなたはもっと好意を受け入れるべきだと思う。他の人の幸せを願うのも構わないけど、自分が傷付いてまでそれをする必要はどこにもない)
 両頬を優しく挟まれながら頭に流れてくる思念。
 諭すような言葉はまるで母親のように慈愛に満ちていたが、依子は素直に頷けなかった。
「でも……お姉ちゃんはいつも誰かのために生きているんだよ? なのにお姉ちゃんのために生きる人は誰もいないの?」
(あなたがいるじゃない)
「私なんか――」
(家族がいる。好きな人がいる。守りたい人がいる。お姉さんを支えるのは周りの人たち。いとこの子だけじゃない)
「……」
(肩の力を抜きなさい、依子。生きるのは大変だけど……そうね、『楽しめる』ことなのだから、そんな泣きそうな顔をしてはいけない)
 頬を包む両手に微かに力がこもった。
(いとこの子に会いたくないのなら離れてもいい。でもそうではないのなら、少しでも一緒にいたいと思うなら、その気持ちに素直になるべき)
「…………私は」
(自信を持って。あなたはいろんな人たちを助けてきたのでしょう。それは縁のおかげじゃなく、あなたのおかげ。そんなあなたが、姉を支えられないわけがない。いえ、ひょっとしたらもう支えになっているのかもしれない)
「…………」
 少女はとても深い、祝福の笑みを湛え、耳元で囁いた。
(偉そうなことばかり言ってごめん。話は終わり。もう行って。このままだと風邪をひいてしまうから。ほら、迎えが来てる)
 美春の手が離れ、依子の後ろを指差した。
 振り向くと、守が小さく白い息を吐いて立っていた。どこか気まずそうな風だ。
 そして顔を戻したとき、もう少女の姿はなかった。
「美春さん!」
 呼び掛けにどこかから思念が届いた。
(さようなら、依子)
「また、また会えるよね?」
(……)
 しばしの沈黙の後、返事が返ってきた。
(……友達でしょ? なら……きっとまた会える。お互いに、縁を大切に思っていれば)
 思念の声はどこか嬉しそうだった。
「約束だよ? 絶対にまた――」
(うん。またね……)
 そうして思念は闇に消えた。

          ◇     ◇     ◇

 二つの人影が離れていくのを遠くから見つめ、美春は小さく頷いた。
(ちょっとすっきりしたかも。会えてよかった)
 間近にいる守護霊の少年に囁く。
 少年のからかうような思念が返ってきた。
 美春は僅かに頬を赤らめる。
 と、
(どうしたの?)
 不意に、少年の気配が緊張と警戒に変わった。
(……?)
 顔を上げる。そして左に目を向けて、よく目を凝らした。
 人影が一つ、闇の中で微かに揺れ動いた。
(誰?)
 思念を飛ばすと、相手は常夜灯の下にゆっくりと姿を現した。
 日本人形のように綺麗な黒髪を持った、美しい女性だった。
 着物姿の大和撫子。肌は雪に負けないくらい白く、服の上から窺えるほっそりした肢体は控え目ながら女性らしさに満ちていた。
 和傘をさしたその麗人は、厚着でもないのに、寒空の下で身じろぎ一つ見せない。
(……あなたは?)
 思わず飛ばしてしまった思念に、麗人は答えた。
「姉です」
 短い答えに美春ははっと気付く。
(依子の……お姉さん?)
「神守依澄です。先程は妹がお世話になりました」
 姿勢のよい丁寧な一礼に美春はつい見とれる。
(……見てたの? 気配を感じなかったけど……)
「……」
 依澄と名乗った女性は、質問に答えなかった。
 ただ、言った。
「あなた……言霊を使いますね?」
(!?)
 唐突な質問に、美春はらしくもなく狼狽の表情を浮かべた。
 依澄の言葉は質問というより確認に近い響きだった。確信しているのだろうか。
(……わかるの?)
「はい……私もそうですから」
(? でも、普通に話して……)
「言霊の制御に多少は慣れていますので」
 軽く言ってのけたが、それがどれほど凄いことか、美春にはわかる。強い霊力を持つほど、その制御は難しいのだ。
 目の前の美人は美春が出会った中でも最高レベルの霊能者だ。気味が悪いくらい魂が安定している。
 何より、美しい。外見もだが、魂そのものが。
 本当に人なのだろうか。疑問さえ感じてしまう程に、体と魂が完璧に調和している。
 依子が苦手と言った意味がわかる気がした。彼女は『ひどく』特別だった。
 美しさに目を奪われていると、依澄がおもむろに傘をたたみ始めた。
 小さく一礼する姿に、美春は戸惑った。一体、何を。
 そして、
『あなたは言霊を使えなくなる』
 瞬間、強烈な霊気が美春の魂を縛った。
 剥き出しの魂に直接言霊をぶつけられて、美春はたじろぐ。
 しかしそれも一瞬で、すぐに立ち直った。
(急に……何?)
 予告もなしにいきなり不意打ちを喰らわされたことに少しむっとして、美春は相手を睨んだ。
 依澄は動じた様子もなく、言った。
「喋ってみてください」
(……?)
 そこで美春は思い返す。今、彼女はなんと言った?
 口を開いてみた。
「……まさか」
 呟いた瞬間、美春は自らの口を両手で押さえた。
 霊波が……出てない?
 もう一度口を開く。
「あ……」
 やはり、霊波は出てない。
 恐る恐る顔を上げると、依澄は満足げに微笑んでいた。
「……あなたの言霊の力なの?」
 依澄は頷く。その顔には何の邪気もなく、つい見とれてしまう。
 一目でこちらが言霊の力に縛られているのを見抜いたのだろうか。
「通じるようですね……では、これも」
 さらに依澄は、小さなお守りを差し出してきた。
「……これは?」
「この土地の神様のお守りです。中に私の言霊の力を込めた護符が入っています」
 依澄は雪より透き通る、綺麗な声で言った。
 彼女の言霊の力は声だけではなく、書いた文字にまで影響するらしい。すぐに消える声とは違い、文字の力は破損しない限り半永久的に残るのだそうだ。
 つまり、これを身に付けていれば、美春はもう言霊の力に悩まされずに済むのだ。
 思いもしなかった出来事に、美春は喜ぶより先に困惑していた。
「どうしてこんな……」
 依澄は再び微笑む。
「……依子の友達、ですから」
「……それだけで?」
「あなたのような方が依子の周りにいて下さるのですから、きっと……あの子は幸せですよね」
 目を細め、穏やかに微笑む依澄。
 その目は何を見ているのだろうか。美春には判断できなかった。
 ただ、彼女が本当に妹を大切に思っていることは理解できた。
「……あなたがおせっかい焼きだということはわかった。姉妹揃ってお人好しね」
「……」
 依澄は何も言わない。
 美春は相手の裡を推し測るように強く見据える。
「……あなたは肩の力が抜けているようね」
「……?」
「妹とは違うってこと。あなたは無理してないみたいだから」
「……」
 美春は姉妹の間に決定的な違いがあるのを確信した。それは能力の差ではなく性質の差で、依澄の異常性を際立たせるものだったが、納得できるものだった。
 これに比べると依子は随分と正常だ。そしてこれは、憧れたり目指したりする地点にはないのかもしれない。
 美春はため息をついた。
「依子と話をしてあげて。あの子の葛藤は些細なものだけど、その些細なものに迷うのが普通の人だから」
 依子は姉とは違うのだ。助けがないと生きていけないし、助け合って生きるのが当たり前だ。
 依澄のように助けっぱなしの人間の方がおかしいのだ。
「ありがとうございます。……駅までお送り致しますが」
 背中を向けた美春に、依澄の声が届く。凛として、雪よりも清涼な音。
「いらない。あなたはさっさと家に戻って、妹に構ってあげて」
「……」
「あとありがとう、お守り。すごく嬉しかった」
「……はい」
 美春は返事を聞き届けると、振り返りもせず、そのまま歩き出した。
 そこで依澄は言った。
「あなたも、生きることを『楽しんで』下さい」
 一単語だけ強調して言われた。依子との話を聞かれていたのだろう。
 少し前ならあんなこと、誰に対しても言わなかったかもしれない。
 でも、今の美春には友達ができたから。
「ええ、お互いにね。依子によろしく」
 それだけ言って、今度こそ美春はその場を後にした。
 少しずつ降り積もっていく雪の絨毯に、生の足跡をしっかりと刻みつけながら。

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