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縁の傷 沈黙の想い・4


 さらに一週間が過ぎた。
 守は依子とともに病院の廊下を歩いていた。
「もっと早く言ってくれればいいのに」
「依子ちゃんがあちこちふらふらしてるから、捕まえるの大変なんだよ。なんで家にいないのさ。携帯も持ってないし」
「それは悪かったけど、結構時間経ってるからもう縁が切れてるかもしれないよ」
 今回依子を連れてきたのは、静梨の縁を見てもらうためだ。
 もっと早く連れてきたかったが、依子を探すのに手間取ってしまった。夏休みであるのをいいことに、近畿まで行って古都巡りを楽しんでいたらしい。
「前に元気がなかったのはこのためだったんだね」
「……元気ないように見えた?」
「おもいっきり。私には説教しといて、自分だってお節介焼いてるじゃない」
「……ごめん」
「まあいいけど。その子も大変みたいだし」
 部屋に入ると、静梨は読書中だった。
 守の姿を見て、すぐに本を閉じた。顔を上げるが、見ない人間がいるのに首をひねる。
「あ、こっちはいとこの子。同じくらいの歳だし、話し相手にもちょうどいいかな、と思って」
「初めまして、依子です」
 静梨はしばらく依子を見つめていたが、やがてメモ帳に文字を書き込んだ。
『水本静梨です。ありがとう、来てくれて』
 二人は頭を下げる。
「なるほどね、マモルくんが御執心なのもわかる」
「御執心て……」
「静梨ちゃんが可愛いってことだよ」
「……うん、そうだね」
『あなたもすごく綺麗だよ』
「ありがと。でも『あなた』じゃなくて依子だよ」
『どんな字?』
「依頼の依に子どもの子」
『苗字は?』
 守の息が一瞬止まった。
 しかし依子は淀みなく答える。
「マモルくんと一緒だよ。遠藤ね」
 静梨は何も疑うことなく頷く。
 そのまま会話が進んだので、守は安堵した。苗字のことで依子が傷付くのではと思ったが、いらぬ心配のようだ。すらすらと嘘をついたのには驚いたが。
「マモルくんの好きなもの? カレー大好き人間だよ」
 いつの間にか、話が余計な方向に進んでいた。
「一週間カレーでもいいっていうくらい好きだし、ライス限定じゃないし。ふっくらふわふわパンにカレーをかけるあのうまさが、なんてどっかの女神に選ばれた魔法使いの英雄みたいなことを言うし」
「依子ちゃん!」
 慌てて大声を出すが、依子と静梨は同時に人差し指を立てた。病院内ではお静かに、と無言で注意される。
 押し黙った守の姿に、動作がかぶった少女二人は顔を見合わせた。依子がにこりと笑い、静梨はうんと楽しそうに頷く。
 参ったな、と守は小さく苦笑した。


「見えた?」
 病院を出て、守は依子に尋ねた。
「見えたよ。小さな糸だったけど、まだ残ってる。辿ってみようか」
 依子が先導する。守には見えないが、静梨から伸びる縁の糸を辿っていっているのだろう。
「確かに犯人に繋がっているの?」
「静梨ちゃんから伸びる糸で一番ぼろぼろのやつを辿ってるの。そういうのは大抵自分が傷ついたり、相手の心を傷つけたりして出来た糸だから」
「……じゃあまず間違いないわけか」
 熱射がアスファルトを熔かさんばかりに強い。守は額の汗を拭い、左手の缶ジュースから水分を喉に入れた。
 依子はあまり暑さを気にしてないようで、くるくると元気な足取りだ。交差点を渡り、離れた住宅団地の方へと向かう。
「遠い?」
「そうでもないかな。二、三キロくらいしか離れてない」
 静梨の家も比較的近い場所と聞いている。やはり顔見知りの犯行なのか。
「でも、見つけても証拠がないわけだから、逮捕なんて出来ないんでしょ? あまり意味ないんじゃないかな」
「そんなことはないよ。事件の解決はともかく、静梨ちゃんの傷を癒すには誰かが理解しなければならないから」
 静梨の声と笑顔を取り戻すためには、彼女自身が事件を乗り越えなければならない。それを間接的にでも助けるには、誰かがトラウマの根っこから理解することが有効なのではないか。守はそう考えた。
 一人よりも、二人の方が勇気が出るから。
 その根っこに迫るために、守は事件のことをもっと調べようと思ったのだ。解決のためではなく、理解のために。
 縁の糸を辿って犯人を見つけるというのは、ほとんど反則級の代物だが、事件の把握のためには有効な手段だった。
 しかし、犯人に会う気はまだない。遠目から確認して、相手を知るだけでいい。
「結局、笑わなかったね静梨ちゃん」
「うん。でも楽しそうな雰囲気は感じられるから、今の状態は悪くないと思うよ」
「でも可愛い子だったなー。マモルくんはいい子に出会えたね」
 ジュースを噴き出しそうになった。
「……あのさ、さっきから勘違いしてない? ぼくは別に、」
「え? 静梨ちゃんのこと好きなんでしょ」
「だから違うって」
「じゃあ嫌い?」
「そんなことないけど、依子ちゃんが考えるようなのとは違う」
「でも向こうはマモルくんのこと好きみたいだよ」
「……」
 多分本当なのだろう。縁の糸を通して、ある程度人と人の繋がりを見抜く依子の言なのだ。
 静梨に好かれている。それはとても嬉しいことだった。
 だが、多分それは『はしか』のようなものだと思う。たまたま守が彼女を助けたから、それがちょっと心に残っているだけなのではないだろうか。
「お似合いだと思うんだけどなー」
 依子は残念そうに一人ごちる。
 守はジュースを一気に飲み干すと、深々と溜め息をついた。
「お喋りばかりだけど、ちゃんと辿ってる?」
「当たり前だよ。お喋りは好きだけど、やることはきっちりやる女だよ私は」
「自画自賛は大抵説得力を欠くんだよね」
 間髪入れずに頭をはたかれ、守は肩をすくめた。


 二十分後。二人は住宅街の中心にやって来ていた。
 糸はこの辺りまで伸びているらしい。依子がきょろきょろと周りに目を向けている。守はそれを見守る。
 探索の視線が止まった。
 依子の目線の先を追うと、短髪の少年が一人歩いていた。
 彼はそのままマンションの玄関口へと入っていく。こちらには気付いていないようだ。
「あの子だよ。間違いない」
 守は頷く。
「どうする? 近付いて顔を確認する?」
「いや、マンションの中には入れないし、今日はもう帰ろう」
 依子は意外そうに目をしばたたいた。
「いいの?」
「うん。あの子は前に会ったことがあるから」
「え?」
 驚くいとこに守は話す。
「一回だけ静梨ちゃんのお見舞いに来てた。クラスメイトか何かだと思うよ」
「……あの子が犯人なの?」
「まだわかんない。でも、調べる余地はある」
 高いマンションを見上げると、太陽が陰に隠れようとしていた。
 太陽にも隠れる場所があるのだ。小さい人間の隠れる場所なんてどこにでもあるし、ましてや過去の出来事なんて隠れるまでもなく日常に埋没してしまう。
 その破片を拾うことが、今の守に出来ることだ。理解して、安心させる。不安を取り除く。そのために、目の前に現れた手掛かりを離さないようにする。
 探偵でも刑事でもないのだ。事件の解決は警察に任せる。だから、決して踏み込んではならない。
「マモルくん……?」
 依子が怯えた表情で呟く。
 握り締めた右手に、じわりと汗が浮いた。


 それからすぐに、守は少年を調べ始めた。
 名前は森嶋佳孝(もりしまよしたか)。静梨と同じ学校に通っている同級生だ。
 勉強も運動も成績は並。素行よし。普段の行動で目立つ点は特に見当たらない。
 ただ一つだけ重要な点があった。彼は静梨に好意を抱いているらしく、夏休み前に告白をしたというのだ。静梨はそれを断ったらしく、彼は結構落ち込んでいたらしい。
「……で、それだけなんだけど」
 駅前の喫茶店『フルート』で、守は依子に報告をしていた。
 依子に協力してもらってから一週間が経過したが、その間に静梨は退院してしまった。傷の治りが早く、後は通院だけで十分と診断されたからだ。
 静梨を見舞う必要はもうないのだが、代わりにメールのやり取りが続いている。現実とは違い、文字盤の彼女は結構雄弁だった。
 そう、彼女の失語と能面はまだ治っていない。
 起こった事柄と調べた内容を語りながら、一週間もあった割にはちょっと足りないかな、と守は歯噛みする。それに対して依子が首を振って否定した。
「ようやく納得したよ。なるほどねー、だからあんなに好き好きオーラが出てたんだ」
 妙なことを言ういとこに、守は首を傾げた。
「縁の糸にね、なんだか変な色が出てたの。糸そのものがぼろぼろだったから見間違いかと思ったけど、そうじゃなかった。あれは好意の色だったんだね」
 相手をどう思っているか、相手にどんなことをしたか、相手との関係性によって縁の糸は色や形状が変化するらしい。
 静梨から森嶋に伸びていた糸は、森嶋に近付くに連れて好意の色が深くなっていったという。
「逆恨みが原因かな」
「そんな色には見えなかったけど。でも糸は傷だらけだったし、そういうことなのかな……?」
 それが一番無理のない解釈だと思えた。縁の糸がぼろぼろになる程に相手を傷つける行為なんて、事件とどうしても結び付けてしまう。それともあれは森嶋の方が傷ついていたのか。
 また他にも、大きな問題が残る。
「でも、静梨ちゃんは二人に襲われたって証言していた。最低でもあと一人、誰かいるはずなんだ」
 襲った人数は最低でも二人。静梨は顔はわからなかったと言った。ならば森嶋は当てはまらないのか。
 だが相手は顔を隠していた。それで気付かなかっただけかもしれない。森嶋に他の仲間がいたとすれば、それもありうる。
 守は考えをまとめようと必死に頭を動かすが、いかんせん情報が少なすぎる。
 それを見かねて、依子が提案した。
「静梨ちゃんに直接訊けばいいじゃない」
 守は途端に眉をひそめる。
「事件のことを直接尋ねるのは気がひけるよ。彼女を傷つけたくない」
 依子は呆れた。何を言っているのやら。
「警察なんて踏み込みまくってるじゃない」
「それが仕事だからだよ。あの人たちは義務でやっている」
「義務ですらないのに、こそこそ調べものをしているのはどうなの?」
「……」
「前から言いたかったけど、マモルくんはちょっと臆病なところがあるよね。相手を傷つけたくなくて、中途半端になってしまう」
「……」
「そんなの駄目だよ。理解のためには踏み込まないと。私なら踏み込む」
 守は押し黙った。
 好き放題言われているが、言い分はもっともだった。相手を深く理解するためには、相手に対する気遣いすら邪魔になるのかもしれない。
 しばらくして、青年は頷いた。
「……やってみるよ。静梨ちゃんの退院祝いに遊園地に行く約束をしているから、その時にでも」
「えっ、デートなの? 前言撤回、なかなかやるじゃないマモルくん!」
 華やいだ声に守はがくっときた。真面目ムードが二秒で一変ですかそうですか。
 ふと思いついて尋ねる。
「あのさ、好意の色ってそんなにはっきり見えるものなの?」
 急だったせいか、依子の目がきょとんとなった。が、すぐに答えてくれる。
「まあある程度は。ホント言うと、細かいところまではわからないんだけどね」
「と言うと?」
「恋愛と親愛の区別がつきにくいってこと。二つとも確かな愛情だから、差異が出にくいんだ」
「……」
 守は安堵したような疲れたような、複雑な顔になった。依子が首を傾げ、
「どうしたの?」
「いや……なんでもないよ」
 疲れた気分になったのは夏の暑さのせい。冷房の効いた店内で、守は自分に言い聞かせた。

 その日の夜、メールでデートの連絡をした。
 二日後に会う約束をして、守は床についた。

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