二人が会ってから一週間。
病室を訪れると、静梨は眠っていた。
綺麗な寝顔だ。顔の腫れはひいており、湿布も貼っていなかった。頭の包帯も取れていて、元の顔が現れている。
規則正しい寝息を立てている様子は実に穏やかだった。一週間前本当に襲われたのか、疑ってしまうくらいに。
犯人を追う手掛かりは今のところ少ない。
事件当日、静梨は友達の家に泊まる予定だった。祖母は午後五時頃に自宅で静梨を見送っている。
相手の友達に連絡が入ったのは午後六時。静梨から友達にメールが届く。用事が出来て行けなくなった、という内容だった。友達は何度かメールでやり取りを行ったが、特に不審には思わなかったという。
その時間帯には既に静梨は誰かに襲われていたのだろうというのが警察の見方だ。メールを送ったのも犯人の偽装と思われる。
手際や都合のよさから考えると、計画的な犯行である可能性が高い。つまりは顔見知りの犯行だろう。
静梨は喋ることが出来ないが、筆談なら可能なので、手の回復を待って聴取が行われた。
それによると、近所の小道に入ったところで何者かに後ろから羽交い締めにされて、車に連れこまれたという。サングラスと帽子で顔は確認出来ていない。
車内で後ろ手に縛られ、目隠しをされた。その後どこかの部屋に連れていかれ、そこでひたすら犯し抜かれたそうだ。
どれ程の時間が過ぎたかわからない。気が付くと静梨は守に助けられていた。
恐らく乱暴を続ける内に彼女は意識を失い、犯人達は飽きたのか、山の中に置き去りにしたのだろう。夏でなかったら凍死していたかもしれない。
静梨の証言はそこまでで、犯人の特定にはまだ困難な状況だった。相手が複数ということくらいしかわかっていない。
警察は現在、静梨の身の周りの人物から捜査を進めている。田舎の警察が少ない人員でどこまで突き止められるか、守は正直期待していなかった。
それでも犯人には捕まってほしいと強く願う。静梨の失語は激しい恐怖が原因ではないか、と医師は言うのだ。
犯人の逮捕は原因そのものの解消に繋がる。ひいては彼女の不安を解消し、声を取り戻せるかもしれなかった。
守は椅子に座り、少女の寝顔を見つめる。
そのとき、まるで視線に反応したかのように、静梨の目がゆっくりと開かれた。
疲れているように垂れた目が、すぐ横の青年の姿を捉える。
目尻が一気につり上がった。驚いたように双眸がぱっちり開かれる。
守はばつの悪い笑みを浮かべた。
「あー……ごめん。起こしちゃったね」
「……」
静梨は慌てて首を振る。棚の上のメモ帳と2Bの鉛筆を手に取り、何かを書く。その文を守へと向けた。
『ごめんなさい、せっかく守さんが来てくれたのに、眠っちゃってて』
守は笑顔で応える。
「疲れていたんでしょ。静梨ちゃんが元気なことが一番大事なことだから、気にすることないよ。寝顔可愛かったし」
静梨の顔が真っ赤になった。顔を伏せて恨めしそうな目を向けてくるが、その様子も可愛らしい。
「体は平気?」
こくりと頷くのを見て、守は安心する。
「一ヶ月って話だったけど、もっと早く退院出来るかもね。退院したらどこか遊びに行こうか」
不意を突かれたような表情で守を見やる静梨。メモ帳に再び鉛筆を走らせ、尋ねる。
『迷惑じゃありませんか?』
「まさか。そんなことないよ。そもそもぼくから言い出したことなんだし。それとも都合悪いかな?」
ふるふると首が横に動く。返事の文が紙に記される。どこか躊躇するような仕草の後、思いきってメモ帳を掲げた。
『楽しみに待ってます』
守はその返文に嬉しくなって微笑んだ。
静梨は恥ずかしそうに目を背けていた。
それから二人は一時間程雑談をして過ごした。
診察の時間がやって来たので、守は静梨にまた来ると言い残して席を立つ。次はちゃんと起きてます、と書かれた紙に軽く手を振り部屋を出た。
だが、守はそのまま帰ろうとはせず、診察が終わるまで外で待っていた。
確認しておきたいことがあったのだ。
「笑顔を見せない?」
守の質問に、静梨の担当医師は首を傾げた。まだぎりぎり三十代らしいが、ストレスのせいか多少老けているように見える。
「私も気になったから、一応診察の時に言ったんだけどな……。そっか、遠藤君の前でもそうなのか……」
「一週間経って、まだ一度も見ていないんですよ」
静梨は決して無表情な娘ではない。さっき病室で交わしていたやり取りの中にも、驚きや不満、少女らしい照れをはっきりと顔に映していた。
だが、未だに笑顔だけが見られない。
「言えばぎこちなくも笑顔は見せてくれるよ。言ってみれば?」
「いや、無理に笑ってもらうのもなんか気がひけますよ。……なんで笑わないんでしょうか?」
医師はゆっくりと顎を撫でる。
「あれだね。笑うことを忘れているんだと思う」
「……え?」
「笑うことは出来るんだ。ただ、日常の自然な動作の中から、笑うことだけがすっぽり抜け落ちているんだと思う」
守は言葉なく顔を曇らせた。それは……どうすればいいのだろうか。
「それって治るんですか?」
「治るよ。原因を解消すれば遅かれ早かれ必ず治る」
失語に関しても同じ答えが返されている。
「つまりは事件の解決が重要ってことですか?」
「そうじゃない。事件を自分なりに整理して、不安が取り除かれることが重要なんだ。事件の解決はそれを助けてくれるかもしれないだけで、直接の解決にはならない」
「……」
結局静梨自身の問題ということか。
しかし、
「ぼくに出来ることはないんですか?」
何か出来ることがあるなら何かしたかった。
医師は青年の真剣な顔を面白そうに眺める。
「今まで通りでいいと思うよ。親しく話して、彼女を安心させる。そうすれば事件の恐怖が多少なりとも薄れるかもしれないしね」
「はあ……」
安心させる。不安をなくす。
一時的な不安解消ならともかく、根っこから治すのは難しかった。
「……頑張ってみます」
威勢のいい声は出なかった。