駅前に着くと、すぐに白草くんの姿を見つけました。
彼は階段の下で壁にもたれかかりながら、人の行き来する様子を眺めていました。その表情はどこかぼんやりしていて、ちょっと気の抜けた感じに見えます。
その隙だらけな様子に、私は少しほっとしました。仲がいいと言っても、やはり男子相手は緊張します。
「あの、おはよう、白草くん」
声をかけると、彼はこちらを向いて、少し意外そうに目を見開きました。
「あ……おはよう。飯島さん」
「……どうかした?」
声にも微かに違和感がありました。何かを訝しむような、そんな色が混じっているように思えました。
「いや、えっと……ううん、なんでもない」
白草くんはかぶりを振ると、すぐに優しい笑顔を返してきました。学校で見ているいつもの笑顔です。
「ありがとう、来てくれて」
「え? ううん、こっちこそありがとう」
私は慌てて首を振りました。誘ってもらったのですから、お礼を言うのは私のほうです。
白草くんは財布からチケットを2枚取り出し、1枚こちらに渡してくれました。
「知り合いからもらったタダ券だから、気にしなくていいよ。それに恋愛ものだと、他の男子はあまり興味を示さないしね」
「……白草くんはどうなの?」
「ぼくは映画ならなんでも観るから」
彼はなぜか微苦笑を浮かべました。ちょっと皮肉げなその表情は、普段あまり見られない種類のものだったので驚きました。白草くんもそういう顔をするんですね。もっとも、その表情の理由はわかりませんけど。
「私も、特にこだわりはない、かな」
それこそフランス映画やロシア映画まで観るので、節操がないと言ったほうが適切かもしれません。
「じゃあ行こうか」
「うん」
私たちは駅ビル内へと入りました。映画館は西館の7階にあります。
休日ということもあってか、人の入りはなかなかでした。白草くんがはぐれないようにと手を差し伸べてくれて、私は控えめにシャツの袖を掴みました。
すると白草くんは、困ったように眉尻を下げました。
「できれば手を握ってほしいんだけど」
「え……でも」
恥ずかしいです。その、クラスメイトの手を握るなんて。
「あ、嫌だったかな。でも袖を掴まれると、ちょっと着心地が悪くなって」
「ご、ごめんなさい」
「代わりにちゃんと掴んでくれると嬉しい」
白草くんは優しげに笑うと、私の手をそっと握りました。
男の子と手をつなぐことなんて、今までにあったでしょうか。せいぜいフォークダンスのときくらいではなかったでしょうか。
そもそもこういうふうに、男の子とふたりっきりで歩くこと自体がまれです。ましてや、デートなんて。
白草くんはどうなのでしょう。彼はこういうのに慣れているのでしょうか。
「ちょっと、新鮮だよね」
「え?」
顔を上げると、白草くんがこちらをまじまじと見つめていました。
「いや、私服姿って普段見ないから」
彼の目が軽く上下して、私の服装を確認します。
お気に入りのプリーツスカートに、装飾の多めなブラウス。ちょっと少女趣味が過ぎた恰好かもしれません。来る時はこれがいいかなと思って、鏡の前でも確認してみたんですけど、冷静になってみるとちょっと変じゃないでしょうか。彼の目にはどう映っているでしょうか。
「変、かな」
「え? いや、全然。かわいいなあって」
あまりに簡単に言われたので、褒められたんだとすぐには気づきませんでした。
一瞬遅れて言葉の意味を把握して、しかし返事も咄嗟にはできず、私はまたうつむいてしまいます。このままつないだ手を放してしまいたいくらいでしたが、しっかり握られていて振り払うことも叶いません。振り払うなんてそんな大それたこと、元々できませんけど。
恐る恐る白草くんの様子を窺うと、特に気にはしていないようです。視線はもう前に戻っています。
彼の服装は、チェックのシャツに黒のジーンズと落ち着いた色合わせで、よく似合っていました。派手さはなく、かといって地味すぎない、その自然な着こなしが彼の印象にマッチしているような気がします。学校の制服姿しか見たことのない私には、新鮮に映りました。
館内に入るとこちらも盛況のようです。席はかなり埋まっていて、私たちは左端の席に座りました。まだ上映まで時間はあるみたいで、周りはめいめいに歓談中です。
席に着いてほっと息をついていると、白草くんの手指が私の左手からするりと抜けていきました。離れたあとの手のひらに微かな余韻が残っていて、水で洗い流すように空調がその温もりを消していきます。少しだけ名残惜しく思いました。
「飲み物買ってくるけど、何がいい?」
「あ、それなら私が、」
「いいからいいから」
白草くんに押し留められて、私は仕方なく、
「じゃあ……紅茶を」
「ストレート? ミルク? あとは、レモンとか」
「ミルクティーかな」
「うん、わかった。買ってくる」
そう言って白草くんは外へと出て行きます。私はその後ろ姿をぼんやりと眺めていました。
ひとりになったところで、盛大なため息をつきました。
緊張しています。
デートなんて初めての経験で、何をどうすればいいのかまるでわかりません。単に友達と映画を観に来ただけといえばそうなのですが、相手は同じクラスの男子です。距離感がつかめなくて当然だと思います。私は、たとえば同じクラスの高上さんみたいに社交的な性格ではありません。あるいは友達の莉夢ちゃんみたいに人懐っこいわけでもありません。物事に対して立ち止まったり、躊躇してしまう性格です。
これでも昔と比べたら、だいぶましになりました。中学の頃までは、もっと内にこもって暗い人間だったのです。いじめを受けることはありませんでしたけど、かといって親しく付き合える相手もいませんでした。端から見たらさびしい人間に映ったかもしれません。
それが変わったのは高校に入ってからでした。入学を機に、もう少し人と接するように心掛けたのです。隣の席の子に話し掛けてみると、案外あっさりと仲良くなれて、少し拍子抜けしたことを覚えています。
今は一応、周りと普通に付き合えている……と思います。女の子同士なら、それなりにおしゃべりしたりします。男子に対してはなぜか一歩引いてしまって、どうしても仲良くなることはできないのですけど。
そんな私ですから、白草くんとこうして映画を観に来ているというのは、なんだか信じられません。
白草くんはとてもいい人です。どうして私が白草くんと親しくできているのか、それはひとえに彼の人柄がいいからです。それでも私は一種の壁のようなものを内心に作っていて、決して自分から近づこうとはしませんでした。
なのに、
「飯島さん?」
「ひゃうっ!?」
突然の呼びかけに、私は飛び上がりそうなくらい驚きました。慌てて振り向くと、白草くんが不思議そうにこちらを見つめていました。両手にはカップがひとつずつあります。
「あ、……えと」
「買ってきたよ。はい、ミルクティー」
差し出されたカップを言われるままに受け取ります。白草くんが席に着き、自分のカップに口をつけるのを見て、私もとりあえず紅茶を一口飲みました。波立った心を甘いミルクの味で落ち着かせます。
慌てふためいたのをごまかすように、しばらく飲み物を飲んだりパンフレットを見たりしていると、白草くんがこちらを向きました。
「飯島さんは、あまり遊びに行ったりはしないの?」
「え?」
その質問は少し唐突で、私はすぐには答えられませんでした。
「なんだか緊張してるみたいだからさ。ひょっとして、迷惑だったかな、と」
「迷惑って、別にそんなことは……」
「あ、いや、ごめん。それならいいんだ。ただ、無理に付き合わせてしまったんじゃないかと思ったら、悪い気がして」
私はその言葉を聞いて、なんだか申し訳なく思いました。そんなつもりはないのです。
「……緊張はしてるよ」
「あ、やっぱり」
「でも、嫌ってわけじゃないの。男の子と一緒に出かけるなんて初めてだったから、その、ちょっと緊張してるけど……でも、嫌じゃない。白草くんなら、うん、平気」
率直に、想いを吐露します。
「……あの、私、男の子と話すの苦手で、こんなだからあんまり男子と仲良くなることもなくて、だけど白草くんはいつも変わらず話し掛けてくれて、その、ちょっと戸惑ったりもしたけど……嬉しかったの」
うまく言葉をまとめられません。でも、要するに私は、
「だから、その……いつもありがとう、白草くん」
彼にお礼を言いたかったのです。
あなたの優しさが嬉しくて、とても助けられていると、そう伝えたいのです。
言葉を重ねるうちに、その思いは確固としたものになって、私は自分なりに感謝の気持ちを述べました。
「今日も、誘ってくれてありがとう」
彼の顔を、目を見つめます。
気持ちがちゃんと伝わるように。
白草くんはしばらく呆気に取られたようにぼうっとしていました。
なんだか顔が少し赤いです。
「……う、うん。こっちこそ、ありがとう」
そのまま前のほうを向いたので、私も顔を戻しました。途端に照明が消え、館内が真っ暗になります。周りから話し声が消え、予告映像がスクリーンに流れました。
そのとき、隣から何かを囁かれました。
私はそれをうまく聞き取れませんでした。確認しようとしましたが、白草くんはなんでもないような顔をしているので、空耳かと思いました。まもなく本編が始まります。
ひとまず後回しです。私はじっとスクリーンに意識を傾けました。