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チョコレートケーキとバレンタインと・3


          ◇     ◇     ◇

 午後の授業が全て終わり、放課後になった。
 翔子は勉強道具を鞄にしまうと、二つ前の席に歩み寄った。
「今口?」
 風見が振り返ってこちらを向いた。
 一瞬ドキリとしたが、動揺を抑えて言う。
「橋本。あんたこのあと時間ある?」
「え? まあ……少しは」
「じゃ、じゃあさ、ちょっと付き合ってくれない? すぐ済むから」
「別にいいけど……何?」
「ここじゃちょっと……屋上まで来てくれる?」
 言った。翔子は心臓の早鐘に押し潰されそうだと思った。
 風見は不思議そうに首を傾げたが、すぐに頷いた。
「わかった。先に行ってて。あとから行くから」
 その返事に翔子は安堵した。必ずね、と言い残して教室をあとにする。
 勝負の場所は屋上だ。


 そう決意を固めていたのに。
「……」
 屋上に繋がるドアの前で、翔子は目を見張った。
 ドアのガラス窓から覗く屋上には、既に先客がいたのだ。
 制服を着た一組の男女。男の方は背が高く、目の前の女子とは結構な差があった。
(……て、あれ緑野じゃない)
 男子の方は同じクラスの緑野純一だった。風見と親しいので、翔子も比較的よく話す相手だ。
 女の子の方は見覚えがなかった。スリッパ色を見るに下級生、つまり一年生のようだ。
 二人は何事かを話している。女の子は恥ずかしそうにうつ向いているが、やがてポケットから小さな箱を取り出して、純一に差し出した。
 純一がそれを受け取っている。その顔は嬉しげで、教室ではあまり見ない心底からの笑顔のようだった。
(告白……じゃないみたいね。もう付き合ってるのかしら)
 女の子は真面目そうなタイプに見える。堅物で不器用な純一と似ているかもしれない。
 似合いのカップルだと思った。なかなか進展しそうにないが、大きく関係が壊れることもなさそうだ。
(あ……でもこれだと屋上は使えないな)
 まさか邪魔するわけにもいかない。翔子は気付かれないようにドアから離れて、ゆっくりと階段を降りていく。
「今口?」
 下の方から声がした。見ると、踊り場の手前で風見がこちらを見上げていた。
「は、橋本」
「出ないの? 屋上」
 間の悪いことだ。翔子は慌てて手を振り、
「あ……や、やっぱり別の場所にしよ! 屋上風強いし、寒いし」
 急いで風見のところまで駆け寄ると、そこから遠ざけるように風見の背中を押しやった。
「え? どこ行くの?」
「もっと別の場所! どっか教室くらい空いてるでしょ」
 困惑する風見を翔子は無理に押しやる。
 困惑しているのは翔子も同じだった。
(タイミング悪……)
 決心が鈍りそうだ。翔子は風見の後ろでぶんぶんと首を振り、弱気な心を追い払おうとした。


 二人は一階の物理講義室に入った。
 そこは鍵が壊れていて、自由に出入りできるのだ。
 ひょっとしたら誰かいるかもと思ったが、幸いなことに誰の姿もなかった。逢い引きには色気に欠けるためだろうか。
 翔子は安堵の息を吐くと、鞄を机の上に置いた。
「ねえ」
 風見は教壇の前に立ち尽くしている。
「用って、何?」
 その言葉に翔子は少し呆れた。こいつは今日が何の日かわかっているのだろうか。いい加減気付けよ。
 だが、そういうところも『しょうがないな』と思えてしまうということは――やっぱり翔子はそういうものなんだろう。
 やっぱり、こいつのことが好きなんだろう。
 翔子はふう、と息をつくと、鞄から小さな箱を取り出した。
「橋本」
「ん?」
「これ、あんたに」
 そっけない口調だっただろうか。一瞬後悔したが、その方がいつもの自分らしいかも、と翔子は思い直した。
 チェックの包装紙に包まれた小さな箱を、風見は呆けたように見つめる。
「……これは?」
「だから、バレンタインのチョコよ」
「……ぼくに?」
「いらないの?」
 風見は慌てて首を振った。
「い、いや、ちょっと予想外だったから」
「なんで」
「今口って、そういうのに興味ないと思ってた」
「……」
 やっぱりな、と翔子はため息をついた。
 こいつは私をそういう目では見てない。たぶん、他の大勢の知り合いと変わらない程度にしか。
 でも、もう決めたから。
「橋本」
「なに?」
 風見がぼんやりと顔を上げる。
 翔子は、

「私ね、あんたのことが好きだよ」

 自分にできる精一杯のことをした。

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