◇ ◇ ◇
おばさんが入院したのは俺が中三の秋の頃だった。
本当に病気だったのかと驚くと同時に、なぜ倒れたのか不思議に思った。
親父が対処しているなら、特に心配はないはずなのに。
やはりでたらめだったのか?
親父は苦い顔で答えた。
「癌だ」
「は?」
唐突に言われて俺は口を開けたまま呆然となった。
それはまったく予想してなかった病気で、あまりに『普通』のありふれた事態だった。
ありふれた絶望。
おじさんと同じ病気というのがまた皮肉な話だ。
「……どうにかならないのか?」
親父は首を振った。
「かなり進行しているみたいで、手術は難しいらしい。手遅れと決まったわけじゃないが渚は……」
そこで口をつぐむ。俺はその振る舞いに眉を寄せた。
「おばさんがなんだよ」
「渚はもう諦めている。これ以上生きることを」
「な……」
思わず絶句した。
諦める? まだおばさんは四十だぞ。第一おばさんには比奈がいる。諦めるなんておかしいだろ。
「そんな」
「しばらく前にあいつのところに行ったら、あいつは俺を拒絶した」
「どうして!」
「俺との関係を続けることに意味を見出せなくなったんだろう」
「……だからって諦めるのかよ!」
納得がいかなかった。人間いつかは死ぬ。でも諦めることだけはしてほしくなかった。
自分のためだけじゃなく、比奈のためにも。
「もちろん説得はするさ。だが生きる意志は本人にしか起こせない。そうだろ?」
「比奈はどうなるんだよ」
「俺たちが支えていく必要があるな。いや、もっと端的に言えば、お前がだ」
「……」
何があっても比奈を守る。
その思いは少しも変わらないし揺るがない。
しかし、不安があるのも確かだった。
俺がどれほど比奈を想っても、俺はあいつの幼馴染みでしかない。
俺はあいつの家族になれるだろうか。
おじさんやおばさんの代わりになれるような。
「とりあえず比奈ちゃんはうちでしばらく預かる。お前、迎えに行ってやれ」
「……わかった」
俺には重すぎる難題だった。
しばらくうちで暮らすことになって、比奈は嬉しそうだった。
留衣くん留衣くん、と可愛い声で呼び掛けられると俺は安心した。おじさんやおばさんと同等とまではいかないだろうが、ちゃんと慕われていることに安堵した。
「比奈、おばさんの見舞いに行ってきたんだろ。どうだった?」
「元気そうだったよ。でもお母さんずっと無理してたから、しばらく休んだ方がいいかも」
特に無理するでもなく話す比奈。
おばさんは──何も話していないのだろうか。
俺は迷った。比奈がまだ何も聞いていないのなら、俺が教えてやるべきじゃないのか。
「どうしたの、留衣くん?」
心配そうに尋ねてくる比奈に、俺は、
「なんでもない。ちょっと受験のことを考えてただけ」
誤魔化した。
言えるわけがない。お前のお母さんはもう長くないかもしれないなどと、誰が言える?
おばさん本人でも言うのは難しいだろうに。
「留衣くんなら大丈夫だよ。本当はもっと上狙えるっておばさん言ってた」
「どこ受けようと、不安になるのはみんな同じだ。ランクは関係ないって」
比奈のために俺は地元の高校を選んだ。
何かあった時、彼女の側にいてやれるように。
『病気』云々のことがなくても側にいるべきだと思った。比奈を一人にはしたくなかった。
比奈はにっこり笑って言った。
「大丈夫。留衣くんはちゃんと合格できるよ。そしたら晴れて高校生だね」
「晴れてって……そんな特別なことじゃないだろ」
「私から見れば高校生ってすっごく大人に見えるもん。あ、でも私ももうすぐ中学生だよ」
「そうなんだよなあ……あんなにちっこかった比奈が中学生になるんだよな」
しみじみ呟くと、比奈は頬をぷうっと膨らませた。
「ちっちゃくないよ! 結構背も伸びてるんだから」
「今何センチ?」
「140センチ」
「ちっさ!」
「う、うるさいなー!」
小学生なんだし別に珍しくもない背丈だと思うが、比奈は俺とやたら比べたがる。こっちは男で、歳だって三つも上なのに。
「絶対追い付いてみせるからね。覚えててよ」
「お前、170センチ以上の大女になりたいのか?」
「……留衣くんのバカ!」
「俺が悪いのか!?」
まあ小さい小さいとからかった俺が悪いんだけど。
こんな他愛もないやり取りをかわしながら、俺は自分の気持ちを整理していた。
──この可愛い『お雛様』を守るためなら俺は何でもする。
それだけは確信できた。