それは、二人が知り合って間もない頃のことである。
「ゆきなりくん、3がつうまれなの?」
小さな女の子は驚いたように言った。
男の子はおもしろくなさそうに頷く。
「……そうだけど」
「じゃあわたしのほうがおねえさんだね。わたしは4がつ」
「そ、それくらいでいばるなよ!」
女の子は目を丸くした。
「いばらないよ。そうじゃなくて、わたしがおねえさんになってあげようとおもって」
「……え?」
女の子はにっこり笑う。
「ゆきなりくんもわたしもきょーだいいないでしょ? だからわたしがおねえさんになるよ」
男の子は困惑した顔で呟く。
「……ぼくにおねえちゃんなんていないよ」
「だーかーらー、わたしがかわりにおねえさんするから」
「そんなのいらない!」
「わたしはおとうとほしいよ? なんでもきいてあげるから、なんでもいって」
「いわない!」
放課後の教室で、自分の椅子に腰掛けながら、高橋雪成(たかはしゆきなり)は昔のことを思い出していた。
唐突ではない。同じクラスの女子生徒をぼんやり眺めていたら自然に思い出したのだ。
雪成の視線の先には、帰る準備をする幼馴染みの見慣れた姿。
彼女──田中亜季(たなかあき)は雪成と同じ高校一年生である。
4月生まれのため、クラスの誰よりも年上だ。
百五十センチに満たない身長に、背中まで届く長い黒髪。ぱっと見の特徴はその二つ。
成績は優秀。運動はあまり得意ではない。友達はそれなりにいるが、騒がしいのは苦手。
そして、
「田中さん、今日掃除当番代わってくれない?」
「うん、いいよ」
人からの頼み事を断らない。
基本的には好ましい点だろう。しかし周りにすればそれは『便利な人』でしかないのではないだろうか。
雪成はそれを忌々しく思う。
亜季のその性質は周りのみんなにとって都合のいいものだ。宿題を見せてもらったり、当番を代わってもらったり、多くの人間が亜季を利用する。
みんながみんな悪気を持っているわけではないのだろう。しかし、
「ホント? ありがとう田中さん! 今度何かおごるよ」
「いいよ別に」
クラスメイトは嫌いではないが、それでも今のようなやり取りを見ると嫌気が差すのだ。
亜季に片目をつぶって礼を言うと、女子生徒は小走りに教室を出ていった。
「亜季」
雪成は席を立つと、机を引く亜季に声をかけた。
「雪成くんまだ帰らないの?」
幼馴染みは柔らかく微笑む。
「掃除、手伝うよ」
「いいよいいよ。雪成くん当番じゃないし」
「お前だってそうだろうが」
亜季は目を丸くした。
「少しは断れよ。いつも言ってるけどさ」
「でも、別に私嫌じゃないし」
「甘やかすなって言ってるんだよ。みんなどこかでお前を便利屋扱いしてるぞ」
亜季は答えず、箒で床を掃き始める。
雪成も箒を持ってそれに続く。
「他の奴らはどうしたんだよ」
「さあ、わかんない」
「サボりか」
「用事があるんだよ、きっと」
亜季は肩をすくめて笑う。
「そんなわけ、」
「ごめん、遅れちゃった!」
雪成の声を遮るようにドアが開き、一人の女生徒が現れた。
クラスメイトの百合原依子(ゆりはらよりこ)だった。依子は少し息を切らして教室に入ってくる。走ってきたらしい。特徴的なポニーテールが小さく揺れている。
「ごめんごめん。宿題持っていったら先生いなくて、見つけるのに手間取っちゃった。……あれ、二人だけ?」
「依子ちゃん含めて三人だよ」
彼女は苗字で呼ばれるのを嫌うため、周囲に名前で呼ぶよう言っている。
亜季が言うと、依子は頬を小さく掻いた。
「しょうがないなあ。ていうか亜季ちゃんもユキナリくんも当番じゃないし。みんなサボり?」
当番は四人制である。
「知らね。小川はさっき亜季に押し付けていったけど、他はどっか消えたな」
「そういう言い方しちゃだめだよ」
亜季が人差し指を立ててたしなめた。
「押し付けられたのは事実だろうが」
「私は別に嫌じゃないもん。それに小川さんちは母子家庭だからいろいろ大変なんだよ」
ちゃんと相手にも理由があるの、と亜季は言う。
しかし理由をつけられること自体が雪成は気に入らない。反論できないからだ。
「じゃあ他の奴らは? 百合原だけ、」じろりと睨まれた。「……依子だけだぞ来てるの」
「掃除くらいでそんなに怒らなくてもいいじゃない」
「……俺はお前が、」
「はいはいストップストップ」
雪成が言い募ろうとした瞬間、依子がそれを遮った。
「口論は後でね。早く掃除終わらせようよ」
雪成は黙って依子を見返す。
さっきの目はどこへやら、ニコニコと毒気のない笑顔に何も言えず、ため息と共に掃除を再開した。
箒で集めたチリをチリ取りで取ると、机を今度は教室の前側に寄せる。教室の後ろ側のチリを掃き集め、同じようにチリ取りで取ってごみ箱に入れた。
「ごみ捨ててくる」
雪成はごみ箱を持って教室を出ようとする。
「早く戻ってこないと亜季ちゃん先に帰っちゃうかもよー」
依子がからかうように言った。
「大丈夫、ちゃんと待ってるから」
「……」
亜季の笑顔に雪成は小さく肩をすくめると、灰色のごみ箱を抱えてごみ捨て場に向かった。