◇ ◇ ◇
遊園地を後にして、二人は駅までの道を歩いていた。
眼鏡の奥に涙の痕はまだ残っていたが、正志の心はさっぱりとしていた。沙織の温もりが自分の涙とともに辛い想いを拭い去ってくれたかのようで、なんだかくすぐったかった。
「沙織さん」
正志が呼ぶと、隣を歩く幼馴染みは、ん? といつもの笑顔を向けてくれた。
正志はそんな彼女の手を取ると、そっと握った。
沙織は目を見開いて驚く。
「沙織さん」
「な、何?」
「はっきりとは言えない。まだうまく切り替えられないから。でもちゃんと応えたいんだ」
「え?」
「沙織さんを好きになりたい。いいかげんな気持ちじゃなくて、ちゃんと恋人になりたい。まだ弱いけど、ぼくは沙織さんを好きだと思うから」
「……え、えっと」
沙織は狼狽した様子でうつむいた。
正志はその様子に微笑み、言葉を続けた。
「あのときの言葉は失言だったのかもしれないけど、ぼくは嬉しかった。戸惑ったけど、悩んだけど、すごく嬉しかった。だから、ありがとう。ぼくを好きでいてくれて」
あの夜のことをなかったことになんてしたくないと、正志は思う。あのときの沙織の言葉は確かに嬉しくて、忘れたくなんかない。
あるいは酔った勢いなのかもしれない。それでもかまわない。この人がいてくれるなら、正志はちゃんと立ち直れる。そしてきっと、想いを確かに出来る。
沙織は顔を上げると、不思議そうに首を傾げた。
「何の……こと?」
「え?」
沙織の反応に正志は困惑した。
「何のこと、って……あのときの、」
「『あのとき』って?」
「だから、その、四日前の」
沙織の顔色が変わる。しかし、その次の反応は正志の意表を突いた。
「……やっぱり私、変なこと言っちゃってた?」
「は?」
「だ、だって、あのとき私酔っ払ってたし、ひょっとしたら寝言で変なこと言っちゃった
んじゃないかってずっと心配で、」
「…………」
「ま、正志くん?」
「…………それ、冗談とかじゃないよね?」
「え?」
結論から言うと、沙織はあの日の夜のことをまったく覚えていなかった。
恥ずかしいくらいにテンションが上がってしまったことはなんとなく覚えているらしいが、具体的な詳細はまるで記憶から抜け落ちてしまっているようで、
「えっと、なんだかあったかいものに抱きついてた憶えはある……かな?」
「…………」
四日間悩んでいたのは一体なんだったのか、正志は盛大なため息をついた。
「……悩んでいたのはぼくだけだったと」
「ご、ごめんなさい。まさかそんなことになってたなんて」
あの日のことを説明すると、沙織は茹でられたタコみたいに真っ赤になってしまった。本当にそんな大それたことをやってしまったのかと、何度も何度も確認してきたが、何度訊かれても答えは一緒だ。
「そりゃもう、おもいっきり押し倒されたさ。なんで憶えてないのか不思議なくらいに、積極的だったよ」
正志は大仰に頭を抑えながら言った。少しくらい意地悪な言い方をしてもバチは当たらないと思う。
沙織は縮み込む。
「ほ、本当に私、そんなことしたの……?」
「沙織さんのバストは88」
沙織の顔が強張る。
「合ってるよね」
「なんで知って、」
「沙織さんが自分で言ってた」
「あう……」
ますます縮み込む沙織。
正志はそれがおかしくて、つい笑った。
「……いいよ、覚えてなくても。あのときの沙織さんの言葉は嘘じゃないと思うから」
「で、でも、私正志くんにすごく嫌なことしたんじゃ」
「嫌じゃなかったよ」
混乱はしたが、別に嫌じゃなかった。本当に嫌なら、無理にでもはねのけていたはずだ。
「気にしないで。沙織さんの気持ちを聞けただけで、あの日のことは良かったと思ってるから」
「そ、そんなのダメ!」
必死な声で沙織は叫んだ。
「ちゃんとやり直すからっ」
「……やり直すって」
「正志くんはさっきちゃんと言ってくれたもの。でも先に好きになったのは私なんだから、改めて言わないと」
「……」
沙織は深呼吸をすると、若干緊張気味な目でまっすぐ向き直った。
「正志くん。私は、あなたが好きです」
「……」
「なんだかややこしいことになっちゃったけど、それだけは本当。もしよければ、私と付き合ってください」
「……うん」
改めて言い切ると、沙織はほう、と息を吐いた。そして照れくさそうに赤く染まった頬を緩めて微笑んだ。
「はあ……やっと言えたよ……」
沙織の呟きを聞いて正志は尋ねた。
「ねえ。いつからぼくのこと」
「昔からだよ。多分、小さいころからずっと」
「てっきり姉弟みたいなものだと思ってた」
「私も最初はそう思ってたよ。でも、中学・高校に上がってなかなか会えなくなって、すごく寂しかった。そのとき初めて気付いたの。私は正志くんが好きなんだ、って」
「……」
「高校生になった正志くんに初めて会ったとき、驚いた。私より身長高くなってたから。いつの間にこんなに成長したんだろうってびっくりして、すごくドキドキしたのを覚えてる。でも、これからまた同じ時間を過ごせるんだと思ったら、嬉しかった」
正志はうつむく。そんなにも想ってくれていた彼女を、正志は傷つけて、
「あ、そんな落ち込まないで。私が一方的に想って、一方的に失恋しただけだから。それに」
そこで一旦沙織は言葉を切る。
正志が顔を上げると、沙織は後ろに手を組み、静かに微笑んでいた。
「これからはずっと一緒にいてくれるんでしょ?」
夕日の中で輝くその微笑みは何よりも綺麗で、正志は呆ける程に見惚れてしまった。
胸が激しく鳴る。
そのときになって、ようやく間違いないと思った。
三原正志は、天川沙織に恋をしている――。
「……うん。一緒にいるよ。沙織さんのこと、好きだから」
「私も」
美人で、世話好きで、料理が得意な年上の幼馴染みは、正志の手を取り直した。
「帰ろっか」
何度も感じた手の感触。だがそのときの温もりはどこか違っていて、正志は初めて心から
沙織と繋がり合えたような気がした。