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ある失恋話(後編)・2


          ◇     ◇     ◇

 映画館は空いていた。
 買ってきた飲み物を沙織に渡し、前列の席に座る。沙織は紙コップの中の紅茶を見つめながらぽつりと呟いた。
「昔もこうして、いっしょに映画観に来たことあったよね」
「……八年前かな?」
 正志が小学三年生のときだった。沙織は六年生で、沙織の父に連れられて三人で映画を観に行ったのだ。
 そのときも確かアクション物だった。確か。
「あのとき正志くん寝てたでしょ」
「……そうだったっけ?」
「そうよ。映画の話をしたかったのに、正志くん全然中身覚えてなくて。ちょっと残念だったな」
「……」
 そういえばそうだったか。アクション物と記憶していたのは沙織が話してくれたのを憶えていたからだろう。
 昔から正志は、沙織に悪いことをしている気がする。
「あのときは、帰りにファミレスに行ったことの方が嬉しかったような」
「あー、正志くん唐揚げセット注文したよね。私はハンバーグステーキセットだった」
「よく憶えてるね。あんまり外食とかしなかったからね。なんか嬉しかったよ」
「今日は寝たりしないよね?」
「しないよ」
 思わず苦笑する。さすがにそれはない。
「小さい頃はじっと何かを楽しむっていうのが理解できなかったんだよ。でも本を読むようになってからは映画も好きになった」
「そうなんだ。いつから本を読むようになったの?」
「そうだな……」
 思い返すと案外あっさりときっかけに辿り着いた。
 小学四年の頃に読んだ『ルドルフとイッパイアッテナ』がとてもおもしろかったのだ。本は気難しいもの、という固定観念が一瞬で吹き飛び、あっという間に読み切ってしまった。
 あれは確か──
「正志くん?」
 沙織の呼び掛けに正志は慌てて顔を向けた。
「あ……ごめん。よく憶えてないや」
「ふーん。……そろそろ始まるんじゃない?」
 沙織が言うと、直後に明かりが消えた。
 後列から順に照明が落ちていき、やがて真っ暗になる。
 正志は言葉を濁したことを後ろめたく思った。
 本当は、憶えている。
 沙織が中学に上がる際に荷物整理を手伝って、そこでもらった本が『ルドルフとイッパイアッテナ』だったのだ。
 そのことが正志の読書好きのきっかけになったことを彼女は知らないだろう。ちょっと気恥ずかしくて咄嗟に憶えていないと言ってしまったが、しかし、
(……いつもぼくを助けたり、支えたりしてくれる)
 その上で何かのきっかけをくれるのはいつも沙織だった。
 この間告白できたのも、沙織の後押しがあったから。
 正志は沙織に世話になりっぱなしだった。
「……」
 せめて今日くらいは、楽しんでもらいたいと思う。
 答えはまだ出せないが、楽しんでもらえれば正志も嬉しい。
 スクリーンが別の作品の予告を映している。
 こちらに向かって明滅の光を放つ画面の眩しさに、正志は細かくまばたきをした。


 映画館の外に出た瞬間、沙織は大きく伸びをした。
 正志も少し四肢に力を入れる。両手をぐうっと伸ばして筋肉をほぐす。
「結構面白かったかな」
 沙織は後ろのテールを小さく撫でながら言った。
「でもやっぱりCGに頼りすぎるのはよくないと思うの。もっとバランスを考えてほしいわ。なんで格闘シーンにまでCG多用するのかしら」
「その方がコストかからないんじゃないかな、よくわからないけど。ぼくは面白かったよ」
「うん、だから結構面白かったって。でももう少し細部を詰めてほしいというか」
 こだわるなあ、と内心で苦笑する。
「ま、いいか。じゃ次行こ次」
 切り換えて、沙織は正志の手を引く。自然と繋がれるその手に、正志はドキッとした。それを表には出さず、尋ねる。
「次はどこ行きたい?」
「もうお昼だし、食事行こうよ」
 元気に答えるその様子は、とても楽しそうだ。
「どこ行く?」
「ファミレス」
「なんで?」
「八年前の追体験しようかな、って」
 真面目くさって沙織は言う。
「別にいいけど、なんでわざわざ」
「なんとなく。なんだか懐かしいじゃない。正志くんがまだ小学生の頃だよ」
「沙織さんも小学生だったよ」
 沙織はにこりと笑った。
「そう。そこが重要なの」
「……は?」
「その頃までじゃない。私が正志くんと遊んでたのって」
「……」
 それは──その通りだった。
 沙織は笑う。寂しそうに。
「私が中学に上がるくらいから、正志くんとあんまり会わなくなったよね。私、すごく残念だったんだよ。どうせなら一緒に学校通いたいなあ、って」
「……」
 それは正志も寂しく思った。親しい彼女と離れるのは、とても嫌だった。
 小学生と中学生では微妙な心理の差がある。それは中学生と高校生でも変わらない。
 三歳差とは学生にとって遥かな差なのだ。なぜなら、同じ学校生活を共有できないから。
「正志くんの家庭教師になれて、私嬉しかった。昔に戻れた気がして」
「……」
「こうやって正志くんと何かを過ごせることが懐かしくて、本当に嬉しいの。正志くんは
どう?」
「……嬉しいよ」
 沙織は笑った。
「というわけで、ファミレスへゴー!」
 何が「というわけで」なのかはわからないが、正志は素直に沙織に従った。
 彼女は魅力的な女の子だと思う。美人で明るい、正志にとって自慢の幼馴染みだ。
 そんな彼女とこうして並んで歩けることが、嬉しくないはずがなかった。
 正志が沙織を想う気持ちと、沙織が正志に対して抱く気持ちとは違うかもしれない。それでも正志は、沙織を愛しく想っている。恋愛か親愛かはわからないが、それだけは確かだった。

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