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ある失恋話(前編)・4


          ◇     ◇     ◇

 正志はぼう、と天井を眺めていた。
 部屋はひたすらに無音で、ただ自身の息遣いだけが耳を打っていた。
 沙織もまた動かない。
 突っ伏したまま、微動だにしなかった。胸と胸とが重力に引かれて強く密着し、心臓の鼓動と肺の収縮を伝え合うだけだった。
 しばらくして、耳元に小さな寝息が聞こえてきた。
 恐る恐る顔を覗くと、沙織は静かに眠っていた。さっきまでとは違う穏やかな寝顔だった。
 普段の沙織が帰ってきたように思い、ちょっとだけ安心した。
「……」
 正志は沙織が完全に眠ったのを確認すると、行為の後始末を始めた。
 力尽きるように眠ってしまった沙織の体を拭いてやり、布団をかけて姿勢よく寝かせる。風邪をひくといけないので、不恰好ながら下着も着けてやった。
 それから正志はもう一度風呂に入った。
 腹にかかった自分の精液がべたついて、どうにも気持ち悪かったのだ。気持ちを落ち着かせるためにも、体を洗い流す必要があった。
 シャワーを浴び、アルコールと体液の臭いを石鹸で洗い流すと、少し冷めてしまったぬるま湯に身を沈める。
「……」
 さっきまでのことは悪い夢なのではないか。正志はしかし、射精後の倦怠感が確かにあるのを自覚する。
 夢ではないのだ。
 それはつまり、沙織が洩らした言葉も現実ということで、
『初めては、好きな人にあげたかったから』
「──っ!」
 沸騰した頭を湯船に勢いよく叩きつける。ざばん、と水柱が立ち上がり、後頭部を濡らした。
 沙織の言葉が本当ならば、正志は想いを寄せていてくれた女の子に、脳天気にも恋愛相談を持ちかけていたことになる。
 そんな愚かしいことをよくも自分はやれたものだ。知らなかったとはいえ、沙織は大いに傷ついたはずだ。
 正志は無自覚に彼女を傷つけ、その上逆に気を遣わせてしまっていたのだ。
 どうして気付いてやれなかったのだろう。ずっと自分のことばかり考えて、周りが少しも見えていなかった。
「馬鹿だぼくは……」
 後悔の念が胸を貫き、呼吸をするのがひどく苦しかった。
 浴室に響くのは小さな鳴咽の声。
 目から溢れる涙は一向に止まる気配を見せず、湯船に波紋を作り続けていた。

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