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彼女の趣味・2

 会場を出て、外の自動販売機の前で、賭けに負けたぼくは青川に尋ねた。
「紅茶、ホット?」
 短い問いにこくこく頷くのを見て、ぼくはボタンを押す。温かいミルクティーががこんと音を立てて落ちてきた。
 渡す時に触れた青川の手は、夜の外気に熱を奪われたのか冷たかった。
「もう夜は冷えるね。早く帰ろう」
「……」
「一人じゃ危ないから送るよ。家どこ?」
 彼女は小さく首を振った。
 一人で帰るというのか。さすがにそれを聞き入れるわけにはいかない。もう夜九時を過ぎている。無理にでも送ってやらないと、
「迎え……来る」
 不意に囁かれた小さな声は、柔らかい響きを伴っていた。
 水に打たれたような驚きを覚えた。今のは、青川の……?
 思わず彼女の顔を見つめた。
 青川の顔は微かに笑んでいるように見えた。
 ぼくはその顔に見とれて、気が抜けたようにその場に立ち尽くした。
 やがて彼女の母親が車で迎えに来て、お礼を言われた。ぼくは何か答えたような気がするけどよく覚えていない。
 彼女の乗った車がその場を去っても、ぼくの心は揺蕩ったままだった。

 そのまま家に帰って、何がなんだかわからないままシャワーを浴びた。そして食事も摂らずにベッドに入った。
 閉じたまぶたの裏で、彼女の微笑がはっきりと残って見えた。そして脳内ではあのか細い声が。
 完全に頭がイカレてしまったかと思った。
 彼女の小さな声と微笑にはそれだけの破壊力があった。ヤバい。魂が持っていかれたかとさえ思ってしまった。
 自分の想いを自覚して気恥ずかしくなる。
 どうやら好きになってしまったみたいだ、青川のこと。

 翌日の放課後。
 校門前で青川に声をかけた。丁度いい具合に彼女は一人だった。
「青川。一緒に帰っていい?」
「……」
 じっ、と凝視された。いきなりすぎたかと後悔するも、今さら退けなかった。視線に耐えて返事を待つ。
 数秒の間の後、青川はゆっくりと頷いた。
 よし、と心の中でガッツポーズする。そのまま彼女の横に並んだ。
 しばらく無言で歩き続ける。
「……」
「……」
 青川から会話が始まる気配は微塵もないので、やはりこちらから話を振らなければならないようだ。
 そこではたと気付く。よく考えてみると、いやよく考えなくても青川との接点は昨日のことだけしかない。昨日は何があっただろう。格闘技を一緒に見て……
 ……だけだった。
 気になる子との接点が格闘技だけ。こんな色気のない話題しか共有してないのか、とぼくはへこんだ。格闘技を憎らしく思ったのは産まれて初めてだ。
 しかし、それのおかげで繋がりが出来たのも事実。むしろ感謝すべきだろう。色気はこの際おいておく。青川が格闘技好きなのは事実なんだし。気を取り直して、会話に挑む。
「あ、昨日は驚いたよ。まさかあんなところで会うとは。格と……うぐっ!」
 いきなりだった。凄い勢いで青川の右手が伸び、ぼくの口を塞いだ。
 突然の彼女の行動に、ぼくは目を白黒させた。
 彼女は顔を真っ赤にしてにらみつけてくる。必死な様子に、ぼくは場違いにもかわいいな、と思ってしまった。
 青川は左手を唇の前に立てた。それを見て、彼女が何を言いたいのかを理解する。了解の頷きを返すと、青川は慎重に右手を離してくれた。
 軽く咳き込んでから尋ねる。
「……人に聞かれるのがイヤなの?」
 青川は首を縦に振る。力一杯の反応である。
 そんなに嫌なのだろうか。確かに彼女のイメージからは遠い話題だから、気にするのもわからないでもないけど。
「知られたくなかった?」
「……」
 今度は何の反応も見せない。首を縦にも横にも振らないので、判断がつかなかった。ただ、無表情な顔の奥に物凄く困っている様子が窺えた。
 なんとなく、この子が無口な理由がわかった気がする。
「……ぼくは嬉しかったよ」
 迷った末、正直に内心を吐露した。
 青川はびっくりしたように目を見開く。昨日よりもずっと表情豊かだった。
「確かに最初は驚いたけど、すぐに青川が本当に好きで見てることがわかったから。他の人は知らないけど、ぼくは全然アリだと思うよ」
「……」
 青川は顔を伏せる。
 ぼくらはのんびりと道を歩く。
 西の空は朱に染まり、空には上弦の月が昇っていた。日が落ちるとさすがにに肌寒い。寂れるような秋風が、静かに駆け抜けていく。
「……あり、がと」
 それは、風の音に負けそうなほど小さな声だった。
 ぼくは思わず彼女を見つめた。青川は顔を伏せたまま、続ける。
「日、沖くんなら……知られても……いい」
「……ありがとう」
 平静な声でぼくはそれだけ返した。
 落ち着いているのは外だけで、内ではもう心臓が爆発しそうなほど嬉しかった。許されるならこの場で彼女を抱き締めたいくらいだ。
 思いきって誘ってみた。
「こ、今度の日曜日、うちに来ない?」
「……」
「あ、いや、変な意味じゃなくて、うちにたくさん録画したDVDがあるから、その」
 早口に説明するが説明になってないような気がする。落ち着けよぼく。
 青川は少し戸惑った様子で、でもすぐに柔らかく微笑んでくれた。
 やがて彼女が頷くと、同時に夕焼けを受けた髪が美しく揺れた。

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