◇ ◇ ◇
日が沈む少し前。
玄関先に人の気配を感じた。
由樹の鋭敏な感覚は屋敷全体を知覚するまでに広がっていた。
(ちょっと警戒しすぎたかな)
由樹は注意を緩め、立ち上がった。誰かが来たみたいだ。おそらく待ち人だろう。そのまま部屋を出て玄関に向かう。
「おや、一ノ瀬さん」
玄関には既に火浦が迎えに出て来ていた。
「今ちょうど神守さんが到着されたところですよ」
玄関口を見ると、和服姿の女性が立っていた。
その姿を見た瞬間、由樹は放心してしまった。
その女性は、由樹が今まで見たことがないほど美しかった。
人形のように整った目鼻立ちも、眩しいくらいに白い肌も、全てが幻想的なまでに美しい。
漆黒の髪は闇の中でも映えそうなくらい輝いて見え、真っ直ぐで綺麗な姿勢は全身に凛とした空気を纏わせている。
存在自体が夢のようで、由樹はぼう、と見惚れたまま固まってしまった。
「一ノ瀬さん?」
火浦の言葉に由樹ははっと正気に戻る。
「あ、す、すみません。ついぼんやりしてしまって」
言ってから後悔した。何がついだ。
しかし女性は特に気にした風でもなく、ぺこりと一礼してきた。
その所作でさえ華麗に映り、由樹は心底感動した。
(こんなに綺麗な人がいるんだ……)
「では神守さん、どうぞこちらへ。一ノ瀬さんもどうぞ」
火浦に促されるままに由樹は奥へと向かう。
女性――神守依澄も流麗な動作で屋敷に上がると、静々と後ろをついてきた。
応接室に入ったところで火浦が依澄に言う。
「神守さん。こちらの一ノ瀬さんはあなたに用があってこの村にいらしたそうです」
「……」
依澄の目が由樹を見据える。
彼女は無表情だった。さらに口も開かず、ますます人形のように思える。
しかし、冷たさは意外と感じられなかった。
「一ノ瀬由樹です。遠藤火梁(ひばり)から手紙を預かってきました」
「……」
依澄の顔が怪訝なものに変わる。
だが由樹にも師匠――火梁の意図はわからないのだ。手紙の中身ももちろん知らない。
てっきり依澄がそのことを知っていると思っていたのだが、その様子は見られなかった。
とりあえず由樹は封をされた手紙を渡す。依澄は何も言わずに受け取り、その場で封筒を開けた。
中に入っていたのは、二枚の便箋。
依澄は三つ折にされたそれらの片方を開くと、中身を黙読し始めた。
「…………」
読んでいくうちに依澄の顔が徐々に曇っていった。
何が書かれているのだろう。ひどく気になる。
もう片方の便箋にも目を通す。
依澄の目が再び由樹に向いた。
その視線は何かこちらを試すような、探るような感じがした。一枚目の手紙の文をもう一度なぞりながら、比べるように依澄は青年を見つめる。
由樹はますます手紙の中身を知りたくなった。まさか自分のことが書かれているのでは……。
やがて依澄は困ったような表情を浮かべた。
(ん?)
しかしそれは一瞬で、一つうなずくと同時に元の無表情に戻った。
そして、
「一ノ瀬さん」
初めて依澄の口が開かれた。
由樹はその綺麗な声音にびっくりしたが、すぐに返事をする。
「はい」
依澄は二枚目の便箋をこちらに差し出してきた。由樹はそれを受け取る。読めということだろうか。
手紙にはこう書かれていた。
『依澄ちゃんへ
こっちの手紙は今あんたの目の前にいるだろう一ノ瀬由樹に対してのものだから、軽く流し読みしたら渡してやってくれ。
さて由樹。長旅で疲れているところ悪いが、頼みがある。
依澄ちゃんの仕事を手伝ってほしい。
依澄ちゃんは俗に言う霊能者ってやつだ。別に信じなくていいが、そういう仕事を生業としている。
なんであんたに頼むのかと言うと、あんたの力を買ってのことだ。
依澄ちゃんの仕事には妙なトラブルが絶えなくてね。彼女に危害が加えられる可能性がある。
別に今回の件は特別なものではないみたいだが、ちょいと心配でね。ボディガードをしてやってくれ。
本来その任を負うのは私の兄貴なんだが、ちょっと怪我をしてしまった。
私も用事があって代わってやれない。
勝手な頼みだとは思うが、お前が一番の適任者なんだ。よろしく。
P.S.仕事が終わったら依澄ちゃんとゆっくり温泉にでも入って楽しんでこい。依澄ちゃんは無口だがいい娘だぞ』
読み終えて、由樹は自分の目が自然と細まるのを自覚した。
いろいろ突っ込みたい点はあるが、なんでこんな回りくどいことを。直接言ってくれればいいのに。
とはいえ少しばかり困ったのも事実である。ボディガードと言われても一体どうすれば、
「……すみません、一ノ瀬さん」
依澄の声が由樹をはっとさせた。
「い、いや、神守さんが謝ることじゃないですよ。先生の無茶には慣れてるし、大丈夫。
問題なし」
依澄は申し訳なさそうに目を伏せる。
こういう所作に由樹は非常に弱い。
「大丈夫。ちゃんと手伝います。いや、手伝わせて下さい」
「……?」
依澄は顔を上げて不思議そうに由樹を見やる。
自分でも変だとは思う。しかし、仕方ないじゃないかとも思っていた。
由樹はいつだって、他人を優先するのだから。