一時間程話し込んだところで急に静梨の携帯電話が震えた。ちょっと、と言って静梨は席を立つ。
依子は軽く頷き、離れていく彼女を見つめていた。隅の方で電話に出る静梨は驚いた表情を浮かべている。
目の前の空になったパフェのグラスに目を向ける。なかなかおいしかった。舌に自信はないが、これはいける。と思う。
手持ち無沙汰になった依子は近くのウェイトレスを呼び、オレンジジュースを注文した。
ウェイトレスと入れ違いに静梨が戻ってきた。
「ごめん! おばあちゃんに呼ばれたから、私行くね」
「あ、りょーかい。それじゃまたね」
静梨はぺこりと頭を下げると、テーブルにコーヒー代を置き、バス停の方へと小走りに駆けて行った。
再び一人になった依子は、ぼんやりとテーブルに両肘をついた。組んだ手にあごを乗せ、薄い空を見上げる。
たそがれながら静梨のことを思う。急な呼び出しだと思ったが、祖母に大事にされているのだろう。そして静梨も大事に思っているに違いない。
彼女の胸には、とても暖かい縁糸が見えていた。あれはきっと祖母に対するものだったのかもしれない。
(うらやましいのはお互い様かもね)
あんな風に素直に肉親を想えたら、きっと心のわだかまりもなくなるのだろう。名残など吹き飛んでしまうに違いない。
溶けそうに白い雲がのんびりと流れていく。人の数も落ち着いて、穏やかな空気が世界を包んでいる。
「ため息ものだなぁ……」
意味のない独り言を呟きながら、依子はジュースが来るまでずっと空を眺めていた。
十分後。
「あれ?」
どこかで聞いたことのある声が依子の耳を打った。
「依子……か?」
意外そうな声の調子。
顔を巡らせると、斜め向かいにさほど歳の変わらない少年が立っていた。
まっすぐな質の髪につり上がり気味の目。依子は眉を上げた。
「ああ、マサハルくんか」
沢野正治。夏に少しだけ話をした相手だ。友達というには遠いが、他人というほど遠くもない。
正治はなぜか顔をひそめた。
「久々に会ったのに随分そっけないな」
「あ、ごめんごめん。じゃあ改めて……久しぶり!」
「おせえよ」
つっこむ少年。依子はくすりと笑う。
「こんなところで一人で何してんだ? ……また誰かにちょっかいかけるつもりか」
「……もうちょっと言い方を考えてほしいな。まあ確かにちょっかいかもしれないけど」
「いや、そういうつもりじゃない。お前にしかできないことなんだから、誰かにとって大事なことだと思うよ。その、縁が見える力っていうのは」
正治は落ち着いた調子で言う。前に会ったときもそうだったが、この少年はあまり冗談を言ったりするタイプではないようで、そのためにまっすぐな言葉だった。
依子が持つ、縁を見る力。
彼女が縁視(えにし)と呼ぶそれが何のためにあるのか、それは彼女自身にもわからない。
だからこそ、それは彼女の判断の下で使われなければならない能力だった。意味も、責任も、彼女が決めることだ。
結局依子は人のためにこの力を使っている。依子が正しいと思えることのために。
「これでも感謝してるんだ。会って、ちゃんとお礼を言いたかったしな」
「縁が繋がっててよかったね」
「まだ、繋がってるのか?」
依子は自分の胸に視線を落とす。
「そろそろ切れそうなくらい細くなってるけど」
「切れたら会えなかったか?」
「さあ、どうかな」
未だに縁の原理も法則も見出せない依子には、そんな曖昧な答えしか返せない。
縁糸が繋がっていることで、互いに何らかの影響を及ぼし合っているのは確かだ。想いや行動がそれに引っ張られるように揺れ動く。
だからといって逆らえないわけではない。
依子は人の意識を縁に繋げてやることで、その者がより強く縁の繋がりを意識できるようにすることができる。そうすればその者の意識次第で縁の方向性は変わりやすくなる。
人の想いや行動で、縁もまた変わるのだ。それは相手が物でも同じだ。縁は確かなものであると同時に、気まぐれに揺蕩うものでもあるのだ。
依子は、本当にささやかなおせっかいを焼いているにすぎない。要は本人次第なのだから。
「でも、お礼を言いたいってことは、その人とは仲直りできたんだね」
「ああ、お前のおかげだよ。ありがとうな」
「マサハルくんが自分で頑張った結果だよ。私は手伝っただけ」
正治の胸元を見ると、他のよりも温かく太い縁糸が見える。きっとうまくやってるのだろう。
そのとき、正治の顔がなぜか曇った。
「どうしたの?」
「いや……お前にはいるのかと思って」
依子は怪訝に思い、目を細める。
「何が?」
「お前は誰かを手伝う。それで俺みたいに救われる奴もいる。でも、お前には誰かいるのか?」
「……」
それは想い合える誰かだろうか。それとも救ってくれる誰かか。多分両方だと思う。
想ってくれる人はいる。今の家族もそうだが、いとこのお兄さんが依子にはいる。
しかし守の気持ちと依子の気持ちには差異があるし、助けたり助けられたりという関係でもない。
「私は別に困ってないし、必要ないんじゃないかな」
「いずれ必要になるかもしれないだろ。誰かが支えになってやらないと、一人じゃどうしようもないんだし」
ぶっきらぼうな口調だが、真摯さは伝わってきた。
依子はにっこり微笑むと、小さく手招きした。
「まあ立ってないで座ろうよ。暇ある?」
「暇っつーか待ち合わせしてるんだけどな。まだ来てないみたいだ」
「彼女さん?」
「この街とは違う学校に通ってるんだけど、進学校だから土曜日も補習授業あるんだと」
ということは電車通学か。依子はついにやける。
「じゃあ毎週迎えに来てるんだ。すごーい、優しいんだね」
「優しさは関係ない。この店のコーヒーが好きだから来てるだけだ。駅前で便利だしな」
素直じゃない反応は見ていておもしろい。
「じゃあ彼女さんが来るまでお話ししようよ。てゆーか彼女さんのこと聞きたいな」
「……お前はお前で暇なのな」
「うん。だからマサハルくんに会えたのは丁度よかった。暇潰しさせてよ」
「……」
うんざりした表情で正治は依子をねめつける。
反対に依子は愉快な気分を隠しもしなかった。
「……まったく、感謝の気持ちを忘れそうになる」
正治は対面の椅子を引いてどっかりと腰掛けた。ため息をつきながら一言。
「お礼がわりに付き合ってやるよ」
変に義理固い台詞に依子は苦笑した。
それから二十分。
「まさくんお待たせー」
呼び掛けてきた声に、正治は後ろを向いた。
可愛らしい少女だった。大きな瞳が嬉しげに細まり、肩口辺りで揃えた髪が笑顔に合わせて小さく揺れる。
「ゆかり、学校終わったのか?」
「うん、ちょっと日直で遅くなっちゃった。……その娘は?」
目を向けられて、依子は微笑みを返した。軽く手を挙げてチャオ、と言ってみる。
「はじめまして、依子です」
「は、はじめまして。……?」
困惑気味に首を傾げるゆかり。仕草がなんとも愛らしいと依子は思った。
「ねえまさくん。この人は友達?」
「知人。たまたま会っただけ」
そっけない言葉に依子は苦笑した。ゆかりについてからかうように質問攻めしたことを、根に持ったのかもしれない。
時刻は四時前。
「じゃ、私行くね」
「は?」
依子はおもむろに席を立つと二人に対して言った。
「あなたたち、本当にわかりあってるんだね。これからも仲良くね」
正治は呆気にとられたかのように口をつぐんだ。
すると代わりのようにゆかりが頭を下げてきた。
「なに?」
「あ、その、なんだかあなたにお礼を言わなきゃいけないような気がしたから……」
「……」
依子は正治に顔を向けると諭すように言い放った。
「マサハルくん、大事にしてあげないとダメだよ。こんなにいい娘、滅多にいないと思う」
「言われなくてもわかってるよ」
おもしろくなさそうな少年に薄く笑むと、依子は奥のレジへと足を向けた。