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遅れてきたバレンタイン・3


◇      ◇      ◇


 ちょうど1週間が過ぎた。
 ぼくは意気揚々と職場に向かい、いつもよりも一所懸命に仕事に励んだ。
 仕事を終えて、またいつものように休憩室へと向かう。
 久坂さんは先に来ていて、珍しく長机の前に座っていた。机の上にはココア缶。
「や、おつかれさん」
 久坂さんが控えめに右手を上げた。口調の割に、どこか緊張しているように見える。
「なに? 用って」
 仕事が始まる前に、用があるから終わったらできるだけ早く休憩室に来てほしいと言われたのだ。
 期待を込めて、ぼくは尋ねる。
「もしかして、バレンタインのやつ?」
 うきうきした声になってしまうのはもう仕方がない。来週とは言われたけど、丸々1週間待たされるとは思ってもみなかったからだ。何かを渡すつもりなら周りに誰もいない状況が望ましいはず。早く来いと言ったのはそのためだろう、きっと。
 久坂さんは一瞬眉をひそめた。
 どきりとする。
 え、なにその反応。
 不意に不安感がぼくの胸に渦巻いた。まさか、また勘違いをしてしまったのか? バレンタインとか全然関係ない、まったく別の用事だった? でも他に思い当たるものはないし、久坂さんもチョコをあげると明言してくれた。勘違いのはずはない。だけど久坂さんが忘れている可能性もなきにしもあらずなわけで――
 心臓の鼓動が速まる。怖々と、彼女の言葉を待った。
「ああ、それもある」
 久坂さんは言った。
「けど、それはおまけだから」
「……は?」
 意味が分からなかった。
 おまけ?
 困惑するぼくに構うことなく、久坂さんは足元のバッグから何かを取り出した。
 包装された縦長の箱だった。
 それを黙ってぼくに差し出してくる。
「これは?」
 箱の高さは30センチくらいはあって、チョコレートにしては少し大きすぎる気がした。
 久坂さんはわずかに逡巡した様子を見せると、意を決したように答えた。小さな声で。
「……誕生日プレゼント」
「…………」
 頭が真っ白になった。
 驚きのあまり、脳が事態についていけなかった。
 誕生日プレゼント?
 なんで?
「…………へ?」
 出てきた声はあまりに間が抜けていた。
 久坂さんは口をとがらせ、顔をそむけている。頬が赤い。
「久坂さん。どうして」
 彼女はぶっきらぼうに答えた。
「だって、今月20歳になるんでしょ。前に言ってたじゃん」
「いつ」
「去年、旅館に泊まった時」
 ……そういえばそんなことを話したような覚えが。
 いや、しかし、あのときの久坂さんはひどく酔っぱらっていて、思い返しても記憶が残っているとは思えなかった。
「ちゃんと覚えてるよ。2月としか聞いてないから、何日かまではわからなかったけど。せっかく20歳になるんだったら、今月中に何か贈ろうかと思って、まあ」
 目を合わせずにつらつらと言い募る。
「だいたいあんた、この前からバレンタインバレンタインて、自分の誕生日の方がもっと大事なことなのに、なんでそっちは気にしないのよ」
「いや、それは」
 だって、普通思わないじゃないか。
 出会って1年足らずのただの友達に、誕生日プレゼントを用意してくれるなんて。
「……まいったな」
 ぼくは首を振って、昂る気持ちをなんとか抑えようとする。
 うれしいなんてものじゃない。
 感激していた。
 ぼくの反応を見て、久坂さんは不安げな表情になった。
「もしかして、こういうのって変だったりする? その、友達の誕生日に、プレゼントって」
「変じゃないよ」
 仲のいい相手なら、それほど珍しいことじゃない。
 でも、ぼくと久坂さんとは、必ずしも仲がいいとは言い切れない。
 片想いの立場というのは、そして相手もその気持ちを知っているというのは、なかなかに難しい関係なのだ。
 少なくともぼくは、多少なりとも複雑な思いを抱えている。色よい返事をもらえていないのだから当たり前だ。
 だけど久坂さんは、そうじゃないのだ。
 彼女はぼくの気持ちを知って、それを認めて、その上でぼくのことを友達だと言ってくれる。それはもちろん、ある意味では酷な話だと思うけど、ぼくは久坂さんのそういうところが好きなのだ。
 好きとか嫌いとか関係なくこちらをきちんと見てくれる彼女を、ぼくは好きになったのだ。
 だから、本当にうれしかった。
 誕生日を祝ってもらうのがこんなにうれしいことだなんて知らなかった。
 胸の奥がじわりと熱くなったように感じた。
 その熱は心地よく、いつまでも浸っていたいとさえ思った。
「ありがとう、久坂さん」
「うん」
 返事はいつもどおりそっけない。
 でもそのいつもどおりがうれしかった。
「純菜ちゃんのこと好きになって本当によかったよ」
「どさくさにまぎれてちゃん付けはやめろ」
「純菜のこと好きになってよかったよ」
「ぶんなぐるぞ」
 こんなやり取りも変わらない。
 変わらずにうれしい。
 もしかしたら、人生の中で一番うれしい誕生日プレゼントかもしれない。
 まだ中身を見てもないのに。
「ええと、開けていいのかな?」
 受け取った箱は少し重みがあった。なんだろう、これは。
 たぷん、と中身が揺れた。
 自然と眉根が寄るのがわかった。
「帰ってから開けてよ。どうせここでは飲めないんだから」
 その言葉で確信が強まった。
 まさかこれって、
「……お酒?」
 久坂さんは平然とうなずいた。
「店に在庫がないのをわざわざ取り寄せたんだから、ありがたく飲みなさい」
「……」
 そりゃまあ、うれしくないわけではないけど。
「なんでお酒?」
「20歳になったから」
「ぼくが飲めるとは限らないんだけど」
「そのときはあたしが責任をもっていただくに決まってるじゃん」
「……」
 ぼくは思わず脱力した。
 久坂さんはこう見えてうわばみなのだ。むしろぼくが飲めないことを期待してるんじゃないだろうか。
「できれば飲んでほしいよ」
「え?」
「初めての人でも飲みやすいお酒だと思うからさ。それで大丈夫なようだったら、今度外に飲みに行こうよ。いいお店知ってるんだ」
 そう言って、久坂さんは微笑んだ。
「いつもひとりで飲んでるから、友達といっしょにお酒を飲んだことってないの。もし川中くんがお酒飲めるようだったら、つきあってくれる?」
 その言葉は、お酒よりもうれしかった。
 彼女から誘われるなんて、初めてのことだったから。
 想いも性別も関係なく、彼女はぼくを見てくれる。
 不器用で、一般的な付き合い方からは少しずれるかもしれないけど、彼女なりに真摯な気持ちが伝わってくる。
 それはまだ親愛の域を越えてはくれないかもしれない。だけど温かくて、心地よい。
 いつか恋愛の域まで届いてくれることを望みながら、ぼくは彼女の真摯な温かさに浸る。離れがたい温かさに浸る。
 今は、この関係に浸りたい。
「お酒、チャレンジしてみるよ。元々興味はあったからね」
「うん。その意気だ」
 久坂さんはうれしそうに笑った。



「あ、そういえばチョコはくれないの?」
「一応買ってきたよ。スーパーの半額セールでお得だった。バレンタイン過ぎててラッキーだったよ」
「……久坂さんはもう少し男心を理解した方がいいと思うよ」
「ん? なんで」
「わからないならいいです」
「むー……どうせ義理チョコなんだから別にいいじゃない。あ、でも中身は結構よさそうだったよ。実は甘いものって結構お酒と相性いいの。クッキーとか意外とおすすめ」
「…………」

 いつか恋愛の域に……届いてくれるかなあ。

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