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遅れてきたバレンタイン・2


◇      ◇      ◇


 2月14日。
 アルバイト先の倉庫は主に飲料水を扱っているので、バレンタイン関連の商品はほとんど見られない。いつもと同じように清涼飲料水のペットボトルやアルコール缶の入った箱を台車に積んで運んでいく。
 その日の仕事もつつがなく終わり、ぼくは更衣室から出るとその足で休憩室に向かった。
 久坂さんはいつもそこの自動販売機でジュースを1本買って帰る。よその自販機よりも10円安く売られているので、久坂さんに限らず従業員のほとんどの者が利用する。飲み物を買って休憩室で雑談を交わす者が多い中、購入したら長居はせずに速やかに部屋を後にするのが久坂さんらしい。
 で、ぼくはそのあとを追いかけて、できるだけいっしょに帰るようにしている。
 ものすごく迷惑そうな顔をされるけど、こうでもしないと久坂さんと距離を縮められそうにないからしかたない。係長にはストーカーに発展しないように気を付けてねいやもうなってるかなとかなんとか言われた。友達といっしょに帰るって普通のことだと思うんですが。
 果たして、その日も久坂さんは奥の自販機前にいた。
 どれにしようかとしばらく悩む姿もいつもどおりだ。
「寒いからここはひとつココアに決めてはどうでしょうか」
「うおっ!」
 女の子らしからぬ声を上げて久坂さんは勢いよくのけぞった。
「な、なんだ、川中くんか」
「そんなに驚かなくても」
「急に声かけられたら誰だって驚くよ。……ココア?」
 久坂さんは怪訝な顔を見せた。
「なんでココア」
 訝しがりたいのはこっちの方だ。
 バレンタインといえばチョコレート。チョコレートといえばカカオ。ココアの原材料はカカオ。だからバレンタインデーにちなんでココア購入を提案するのはごくごく自然なことだ。
 自然なことだと思うんだ。
 なのにどうしてそんなに不思議そうな顔をしているのかな、君は。
 嫌な予感がした。
「……久坂さん。今日は何の日か知ってる?」
「え?」
 ものすごくナチュラルに発された疑問の声だった。
 え、まさか。本当に?
「……2月14日、なんだけど」
「うん。それが?」
 それがときたか。
 そっけない態度やつれない反応くらいは予想しないでもなかったけど、さすがにこの可能性は考えていなかった。
 久坂さんはどうやら、今日がバレンタインデーだということに気付いていないらしい。
 マジで?
「ねえ、今日って何の日なの? 何かあったっけ」
 その素朴で純粋な質問は、今のぼくにはあまりに残酷だと思った。
「川中くん?」
「バレンタイン」
「は?」
「2月14日は、バレンタインデー」
「……」
 久坂さんはきょとんとした顔になった。
 そして言った。
「……そういえばそういうイベントがあるって話を、テレビで見たことある」
「え」
「冗談だよ。いや、覚えてなかったのは本当だけど」
 微妙すぎて冗談になっていない。
「そっか、そういえばそんなイベントもあったね……」
 しみじみとそんなことをつぶやく。本当に覚えていなかったらしい。デパートに買い物に行けば大々的に宣伝しているし、近所のコンビニやスーパーでも期間限定で売り場を設けている。街中を歩けばバレンタイン関連の幟やポスターが目につくし、テレビやネットでも特集が組まれている。2月に入ってバレンタインデーという言葉をまったく見聞きしなかったとは、ちょっと考えにくい。
 たぶん、見聞きしてもまったく頭に入ってこなかったのだろう。興味がないから。
「あ、だからココアなんだ」
「あはは、今気づいたんだ。久坂さんらしいなあ」
「どういう意味よ」
 剣呑な目を向けられるけど気にしない。いつものことだからだ。
 久坂さんはそっとため息をついた。
「しかたないじゃない。今までバレンタインなんて、何の縁もなく生きてきたんだから」
「そうなの?」
「チョコレートを誰かにあげたことなんて、一度もないんだもん。そもそもあげる相手というか、知り合いがいなかったのに」
 久坂さんはよく自分のことをぼっち大学生だと言っている。
 それは自虐ではあるけど、概ね真実なのだろう。ぼくは彼女の知り合いを職場以外で見たことがない。
 人付き合いの苦手な彼女にとって、バレンタインデーというものはまったく人生に関わりのないイベントなのかもしれない。
 だめだな、ぼくは。
 もっと久坂さんのことを理解しないといけないのに。
「で、要するに、あんたはチョコがほしいわけ?」
 久坂さんの言葉に、ぼくはうなずいた。
「……ココアおごろうか?」
「さ、さすがにひどいんじゃないかなそれは」
「だめ?」
「ちょっとうれしいと思った自分が哀しいのでお断りします」
「ん、だめならしかたないな」
「わりかし本気だったの!?」
 いくらなんでもココア缶一本でバレンタインチョコもらっちゃったーきゃはっ、とは喜べない。そりゃおごってもらえたらなんでもうれしいけど、そうじゃなくて。さすがに今日ばかりはそういうわけにもいかなくて。
「あのさ、それって今日じゃないとだめなの?」
 不思議なことを言う。
「いや、そんなことはないけど」
 久坂さんからもらえるなら、いつでも歓迎だ。
「じゃあ来週まで待ってもらえる?」
「来週?」
 どうして来週なんだろう。
 いや、それより、
「もしかして、くれるの!?」
 そっちの方が重要だった。
 久坂さんはため息をついた。
「そんなに期待の目を向けられたら、意地張るのも悪い気がするし」
「やった!!」
 思わずガッツポーズをしてしまう。久坂さんが真っ赤な顔でぼくの頭を叩いた。
「大きな声出すな。他の人に聞かれたら恥ずかしいでしょ」
「むしろ聞かせたいくらいだよ」
「チョコほしかったらその口を閉じろ。あと、ただの義理チョコだからね。特別な意味なんてないんだから」
「大丈夫。箱に義理チョコって書かれていても、上から本命チョコに書き直すから」
「あんたそれでむなしくならないのか!」
 久坂さんのツッコミもまるで気にならなかった。
 バレンタインデー当日じゃなくても、久坂さんからチョコがもらえるならとてもうれしい。むしろバレンタインを忘れていたにもかかわらず、それでもきちんとチョコを贈ろうとしてくれるなんて、うれしくないわけがないのだ。
 さっきは出鼻をくじかれたけど、結果的にハッピーで終わりそうで、ぼくはにやつく顔を抑えられなかった。久坂さんから気持ち悪いと言われても、上がったテンションは静められそうにない。
 ただ、気になることが一つだけあった。
 どうして来週なんだろう。

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