手をつないで・8
◇ ◇ ◇
それから、1週間が経ちました。
その間に私はいりすちゃんといろんなことを話しました。
いりすちゃんは、私が入院していた病院で、私が入る少し前に亡くなったのだそうです。
元々入院生活が長くて、あまり生に執着はなかったといいます。さっさと成仏するつもりでいたらしいのですが、たまたま私を見かけて、私のことを気に入ってくれたのだそうです。そのまま私の中に残ることにしたのだと教えてくれました。
その身の上話は、本人にとってはあまり話題にしたくないことのようでしたが、それでも話してくれたことを嬉しく思いました。
私も自分のことを話しました。
いりすちゃんが知らない、半年前より以前の私のことを。
私には、特別親しい友達はいません。高校に入ってできた友達が、おそらくは今までで1番親しい友達です。
でもいりすちゃんとは、それ以上の仲になれる気がします。
この1週間、私たちは同じ時間を共有し、生活しました。
学校に行きました。授業を受けました。ご飯を食べて、お風呂に入って、テレビを観て、本を読んで、あらゆることを共有しました。
ひとりの時間がないために窮屈に思われるかもしれませんが、私は少しも苦ではありませんでした。いりすちゃんといる時間は、本当に楽しかったのです。
それにいりすちゃんは、あまり長い時間起きていることができないみたいで、1日の半分以上は眠っているようです。
なんというか、新しいルームメイトができた感覚でした。
もっともそのルームメイトは、自宅に限らずどこでも一緒なんですけど。
再び日曜日がきたその日、私たちは先週と同じく駅前で待ち合わせをしていました。
待ち合わせの相手も、先週と同じです。ただ、今日は私たちのほうが先に着いていました。
10時5分前に、白草くんはやってきました。
ジーンズにポロシャツといった服装で、すっきりした恰好でした。簡素ながら清潔感があって、さわやかな雰囲気が出ています。今日は先週よりもさらに蒸し暑いので、そういう軽い恰好なのかもしれません。私も今日は薄手のワンピースです。あまり露出が多いと、少々恥ずかしいですけど。
「お待たせ」
「ううん、今来たところ」
先週よりは、もう少し自然に微笑みかけました。
この1週間、私は白草くんともよく話すようになっていました。
彼から話しかけられるだけじゃなく、私からも話しかけるようにしたのです。白草くんは気さくに応えてくれて、とてもありがたく思いました。
『本当は先週遅刻したから、遅れないように30分前には来てたんだけどね』
「い、いりすちゃん……」
ばらさないでください。もう。
『で、あんたはどうして遅れたの?』
「待ち合わせは10時だよ。もう……白草くんも気にしないでね」
白草くんは苦笑して手をひらひら振りました。いりすちゃんは相変わらずきつい物言いです。白草くんのほうもちょっと慣れたようですが。
「ちょっと用事を言いつけられて遅れた。ごめん」
『寄り道?』
「家の手伝いを少しね」
それを聞いて、どきりとしました。
先週のことを思い出したのです。白草くんの家は代々霊能術を生業としているそうですが、あんな危険なことをいつもやっているのでしょうか。
ひょっとして、今日も危ない目に遭ったりとか、
「大丈夫、別に危ないことはしてないよ」
白草くんは明るく笑って言いました。
「チケットもらおうとしたら、手伝えって言われてさ、今朝までずっとお札を書いてた」
「……お札?」
「うん。まじないの言葉を書いて、霊気をこめたやつ。お守りとか、地鎮とかに使ったりするんだけどね。ずっと漢字の書き取りをしていた、といえばわかりやすいかな」
どうやら危険なことはなかったようで、私はほっとしました。
「霊能者って言っても、普段はもっと地味なことばかりしているんだよ。書類を作ったり、客の相談を受けたり。この前みたいなことはほとんどないし、心配しなくても大丈夫」
「うん……」
そうは言っても、やっぱり心配です。
同い年の男の子が、あんな世界にいるのです。心配するなというほうが無理です。
私にも何かできることがあればいいんですけど。
『余計なことを考えちゃだめ』
考え込んでいると、いりすちゃんに注意されました。
『かなえは普段どおりいればいいの。餅は餅屋よ』
いりすちゃんは年に似合わない変な言葉を知っています。
餅は餅屋。確かにその通りなのですが、白草くんは、私を除くクラスの誰にも、自分の仕事を教えてはいないと言います。それなら、せめて事情を知っている私が、何か働きかけてあげたいのです。そう思うのはおこがましいでしょうか。
そのとき、白草くんが提案しました。
「じゃあ、飯島さんにもひとつ頼み事をしていいかな」
意外な申し出に私は驚きました。
いりすちゃんが何か文句をつぶやきましたが、白草くんがそう言うなら、応えてあげたいと思います。口元を引き締めて、頷きました。
「うん……。私にできることなら、言って」
すると、白草くんは真面目な顔で、
「時間があるとき、これからも誘っていいかな?」
目が丸くなりました。
「……それ、ただ遊びに行くってだけじゃ」
「うん。それはすごく大事」
白草くんは真面目な顔を崩しません。
「こうして一緒にいてくれるだけで、すごくリフレッシュできる。ぼくはまだ見習いだから、あまりハードな仕事は任されないけど、それでも結構疲れたりするからね。そういうときに、飯島さんが一緒に遊んでくれると、ぼくは嬉しいし、仕事にも張りが出る。だから、どうかな?」
ふざけた調子はまったく含まれていません。
もちろん、それは方便だと思います。でも、その申し出は決して悪いことではありません。
私が白草くんの日常の一端を担えるのなら、それはとても素敵なことです。白草くんにとっても。私にとっても。
だから私は、その頼み事に笑顔で答えました。
「うん。喜んで」
「……ありがとう」
白草くんは嬉しそうに、とても嬉しそうに笑いました。
その笑顔を見られただけでも、私は満足でした。
『……いいかげん中に入ったら? 暑いじゃない、まったく』
いりすちゃんの不機嫌そうな声が割り込んできます。
「あまり話しかけるなよ。お前の声は、ぼくら以外には聞こえないんだから、いちいち反応してたら不審人物と思われるだろ」
『なによそれ。あんたがどう思われようと、私には関係ないし』
「飯島さんも変な目で見られるぞ」
『う……』
いりすちゃん相手だと、白草くんは言葉に遠慮がなくなるようです。もしかして、こちらのほうが素なのでしょうか。私はすかさずフォローしました。
「大丈夫だよ、いりすちゃん。私は別に気にしないし、いりすちゃんとお話するの楽しいから、どんどんしゃべって」
『うん……ありがと、かなえ』
気落ちしたようにおとなしくなったいりすちゃんは、なんだかかわいいです。
「白草くんもあんまりいりすちゃんをいじめないでね」
「いや、その……うん」
白草くんも私に対してはすごく優しいんですけど。どうもふたりの相性は悪いです。
とはいえ、喧嘩するほど仲がいいとも言いますし。
「ほら、中は涼しいよ。入ろ」
空調の効いた構内は、外の蒸し暑さとはあまりにかけ離れていました。天国のような心地を味わいながら、そのまま西館の7階を目指します。
「ところで、今日はどんな映画を?」
『そうよ、そうそう、話の内容は?』
白草くんはチケットを取り出しながら答えます。
「たしかホラーものだったかな。ある町の都市伝説を調べていたら、幽霊に呪いをかけられるってやつ」
幽霊と都市伝説に、どう関係があるのでしょう。意味のわからなさが逆に興味をそそりました。
「飯島さんはホラーもの平気だったよね」
「うん、一応。あんまり怖いと眠れなくなっちゃいそうだけど、ホラー自体は好き」
白草くんもホラーは大好きなのだそうです。霊能者とは思えない趣味に私はつい笑ってしまいました。
ところが、
『……』
いりすちゃんだけは、ひたすら無言でいました。
いつもなら『あんた霊能者のくせにあんな偽物を見て楽しいわけ? ばっかじゃないの』くらい言いそうなものですが。
「いりすちゃん?」
『……』
いりすちゃんは答えません。
「……怖いのか」
すぐさま噛み付きました。
『こ、こここ怖いわけないでしょ! わ、わた、私は、幽霊よ。本物の幽霊が、つ、作り物の方を、怖がるなんてそんな、そんなわけ』
「無理するな」
『なによその澄ました顔! うう……怖くなんかないわよ』
声が震えています。本気で怖いのかもしれません。
「……別の映画にする?」
怖がっている子に、無理に見せるのも気の毒です。
私はそう提案しましたが、いりすちゃんは拒否しました。
『……かなえはそれが観たいんでしょ? なら大丈夫。……平気』
全然平気そうには思えないのですが。
白草くんは軽く肩をすくめました。私に任せるつもりのようです。
私はしばし考えてから――白草くんの手を握りました。
「えっ?」
私の唐突な行いに白草くんは心底驚いたようで、石のように固まりました。
その手は1週間前に感じたときと同じく、温かくて心地のよいものでした。
まるで父親の、母親の優しさに包まれているような、そんな感触です。
私の体を通して、この温かさはきっといりすちゃんにも伝わるはずで、これなら少しは怖さも和らぐのではないでしょうか。
「手を握ってもらおう? そうすれば、少しは安心するよ」
私は大真面目に言ったのですが、いまいち伝わらなかったみたいで、呆れ声で応じられました。
『かなえ……ごめん、それはないわ』
「え? でも、あったかいでしょ?」
『それはまあ……』
続けて白草くんにも。
「白草くん、急にごめんなさい。でも、これなら……」
「あ、いや、その、ぼくは別に」
白草くんは戸惑ったように目を白黒させていましたが、特に振り払うでもなく、やがてきゅっと握り返してくれました。
「……飯島さん、なんだか変わったね」
しみじみと言われて、私は首を傾げました。
「こんなに大胆な性格じゃないと思ってたんだけど」
改めて自分のことを顧みて、そして顔が一気に熱くなりました。
自分からクラスメイトの男子の手を取るなんて、確かに1週間前の私ではありえない行動です。
でもそれはいりすちゃんのためにやったことで、変な気持ちは全然なかったのです。ただそうしたほうがいいんじゃないかと思って、咄嗟に、
「……飯島さんの手は、温かいね」
「し、白草くんだって……」
いつの間にか、くっつきそうなほど体が近くなっています。
お互いに顔を見合わせて、赤面しました。
意識すると恥ずかしさのあまり、表情も強張ってしまいます。私は思わず顔を伏せてしまいました。
『いつまでやってるのかしら、まったく』
いりすちゃんの呆れ声に、私たちは体をぱっと離します。
『かなえ、こんな男やめたほうがいいよ。かなえにはもっとふさわしい人がいるって』
そんなことを言われても、反応に困ってしまいます。
体が離れても、手はつないだままでした。なんとなく放し難かったのです。それは白草くんも同じだったのでしょうか。どちらからも解くことはありませんでした。
並んで歩きながら、私はその手を放さないようにしっかりと掴みました。
優しい感触は手のひらに染み込むように馴染み、温かさは心を落ち着かせるように伝播していきます。
少しは男の子に対して、苦手意識もなくなったでしょうか。
他の男子にはたぶんこんなことはできません。でも前よりは、改善されたんじゃないかと思います。
白草くんがそっと、痛くない程度に握り返してくれました。
私はその優しい繋がりを嬉しく思い、小さく微笑みました。