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その女、無機質につき・3


          ◇     ◇     ◇

 翌日、俺はまた部室を訪れていた。
 今日は先客がいた。
「こんにちは、和光君」
 見慣れた無表情をその顔に貼り付けて、長坂歩美は昨日と同じ椅子に座っていた。
 自然と昨日の情景が思い起こされる。
 あの後、眠そうな様子の長坂の体をティッシュで拭いてやるなど、後始末を適当に済ませると、さっさと服を着て部屋を辞したのだ。疲れてはいたが、あのままあそこにいると、どうにも変な気持ちになりそうで嫌だった。
 恥ずかしかったのだ。
 行為の途中から、彼女に対して妙に愛しさを覚えてしまった。それがどうにも恥ずかしくて、逃げてしまった。
 元々嫌っていたわけじゃない。見た目は好みだったし、そういう感情を抱くのもまあありうることだろう。
 ただ、長坂が俺をどう見てくれるか、そこに自信がなかったのだ。
 肌を重ねているときに見せたあの顔には、俺への愛があったと思う。だが冷静になってみると、あのときの俺はただただ興奮しきっていて、正常な判断を下せるような状態になかった。俺の勘違いの可能性もあるのだ。いや、むしろそちらの方が高いんじゃないのか。
 よく知りもしない相手に、都合がいいというだけでセックスの誘いをかけるような女だ。どう考えても俺の手に負える相手じゃない。昨日大人の階段を登ったとはいえ、器が大きくなるわけじゃないし。へたれと罵られようと、あんなのに立ち向かえるか。
 それでも部室に足を向けたのは、会いたいという気持ちも同時にあったからで。
 矛盾する気持ちを抱えながら、俺はこうして彼女の前にいる。
 長坂は目の前に開いていたノートを鞄にしまうと、復活した鉄仮面を身につけて俺を見据えた。思わず唾を飲み込む。
「……不思議な気分だ」
 ぽつりと、そうつぶやいた。
「……は?」
 俺には何のことだかわからない。
「昨日のことだよ。和光君が帰ってから、強い眠気に襲われたので、私はそのまま眠った。それで今朝の、大体七時くらいに目が覚めたんだけど……」
 半日近く眠っていたというのか。激しくしすぎただろうかと、後ろめたい気持ちになる。
「客観的に見て寝すぎだと私は思う。それに寝すぎると気分が優れなかったりすることが多々ある。和光君にもひょっとしたら覚えがあるんじゃないかな。長い睡眠は体によくないんだ。……ところが不思議なことに、今朝の私は実にすっきりとした気分で目覚めた」
 長坂は淡々と説明する。
「昨日あんなことがあったからね。それだけ疲れていたのかもしれない。実際股の間が痛いし。でもその割りには、とてもいい気分で朝を迎えることが出来た。これが不思議なんだ。疲れて動きたくないというならともかく、今日の私はむしろ『一日がんばろう』という気持ちになっていた。それはなぜなのか、和光君ならわかるんじゃないかと思って、あなたが来るのを待っていた」
 それはつまり、
「俺に会いたかったの?」
「というより訊きたかった。どうして私は今日、こんなに気分がいいんだろう」
 知るか!
 心の中で叫ぶが、しかし彼女の言葉をよくよく考えてみると、すごいことになるんじゃないかと思った。
 なんだか俺にとって、実に都合のいい感じになりそうな。
「俺としたことで、何かが変わったんじゃないかな」
 長坂はうなずいた。
「私もそう思う。ただ、何が変わったのかわからない。処女でなくなることに何か意味があるのか、それとも私個人に伴う問題なのか。いや、困っているわけじゃないから問題というのも違うんだけど……とにかくすっきりしない」
「一つ訊きたいんだけど」
「どうぞ」
「セックスをして、良かったと思う?」
 カマをかけてみた。
 長坂の表情は変わらない。
「……そうだね。良かったと思う。思っていたより痛みはひどくなかったし、正直そこまで気持ちいいとは思わなかったけど、少なくとも悪くはなかったよ」
「……も、もう一度したいと、思う?」
 かなり踏み込んでみた。
 長坂は眉を寄せる。
「……したいの?」
「え、あ、えと……」
 彼女らしいストレートな問いに口ごもってしまう。
 しかし次に発せられた彼女の言葉に、俺は今度こそ絶句した。
「……うん、それもいいかもしれない。和光君、しばらくの間、私のセックスフレンドになってくれないかな」
「――」
 どういう思考回路してるんだこいつ。
 訊かずにはいられない。俺は彼女に問い掛ける。
「な、長坂さんは、俺のことが、その、す、好きなの?」
 なんとか絞り出した決死の質問に、長坂は目を丸くした。
「それは、恋愛感情を持っているかということ?」
「う、ん」
「……どうなのかな。違う気がする。和光君のことは好ましいと思っているけど、別に結婚したいとは思わないし」
 いや、その飛躍がどうなんだ。結婚て。
「どちらかというと、いい友達になれそうな気がする。和光君はどう思う?」
「俺は……」
 なんつー答えづらい問いだ。俺は長坂を本気で恨めしく思った。昨日俺の腕の中で身悶えていたことが信じられない。
 そんな風に前置きされたら、俺に選択肢なんて残ってないじゃないか。
 結局俺はこう言うしかなかった。
「俺も……長坂さんとはいい友達になれると思うよ」
「そうか。それはよかった」
 よくねえよ!
 しかしすでに答えは出てしまっている。今告白したところで、彼女の氷の表情を解かすことはできないだろう。ましてや心を捉えることなど。
 そんな俺の葛藤など微塵も気づかず、長坂はうんうんとうなずいている。
「よし、じゃあそういうことで、これからもよろしく。和光君」
「……よろしく」
「ひょっとしたら長い付き合いになるかもしれないけど、できるだけ早くあなたの手を煩わさないように頑張るから。その間は、私のことはいくらでも好きにしていいよ」
「…………」
 ホント、こいつって。
 なんでこんな女を好きになってしまったんだろう。長坂の態度に腹が立って仕方がなかったが、今さら嫌いになれない自分がいた。
 こうなったらもう意地だ。絶対にこいつを振り向かせる。どんなに強固な仮面を持とうと、引っぺがしてみせる。鉄のカーテンだろうとベルリンの壁だろうと、いくらでも破ってみせよう。
 覚悟しろ長坂歩美。絶対にその冷たい表情を、昨日のように蕩けた表情に変えてみせるからな。


「じゃあ、早速私の部屋に来ないか。昨日の感触を忘れないうちにやらないと、比較が出来ないからね」
「……」
 頑張れ俺。


   <了>

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