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隠し事・1


 梶谷壮(かじやそう)が藤村都古(ふじむらみやこ)に初めて会ったのは九月の末だった。

 まだまだ日射しの強い放課後の屋上。
「えーと……」
 壮は多少弱まった西日を横に、一人の少女と相対していた。
 小さな少女である。壮よりも三十センチは小さい。短い髪を小さくまとめ、心なしかうつむいている。スリッパの色は藍色なので、一年生ということになる。一つ下だ。
 ここに来たのはクラスメイトに呼ばれたからである。しかしいざ来てみれば、この縮こまった下級生がいるだけで、他に人影はない。
(ヨシの奴……)
 壮は困惑して軽く頭を掻く。
 少女が顔を上げた。
「あ……の、」
「うん?」
「私……その……」
 随分と小さな声だ。顔を真っ赤にして懸命に言葉を紡いでいる。
 これはひょっとして、よくテレビや漫画でやっているあれだろうか。壮は他人事のように思う。まさか自分がこんな場面に立つとは。
 いやいやと居住まいをただす。相手は見た感じ真剣だ。こちらも真面目に、
「好き、です。付き合って……下さい」
 真摯な眼差しを向けられて、壮は一瞬たじろいだ。が、すぐに持ち直して、
「えっと……藤村さん、だったね」
「は、はいっ」
 予想外に大きな声が返ってきた。少女ははっとなってうつむく。まるで自分で出した声に驚いたかのようだ。いや、実際そうなのかもしれない。
 おとなしい印象は悪くない。というか結構好みだ。
 しかしこれが初対面なのである。軽い気持ちで応えるのは、少しかわいそうだと思った。
「気持ちは嬉しいんだけど、俺、まだ君のことをよく知らない。だから、その……申し訳ないんだけど……」
 少女の体がびくりと震えた。
「……まずは友達からでいいかな?」
 震えはすぐに止まった。
「……?」
「いや、その……急に付き合うのはちょっと早いかなって思うんだけど……ダメかな?」
 ぶんぶんと首を振られた。
「よ、よろしく……お願い……します」
 蚊の鳴くような小さな声。
「う、うん。こちらこそ」
 少女はぺこりと頭を下げると、足早に階段へと駆けていった。壮はそれを何とはなしに眺めていた。
 無難な答えを返したが、よかったのだろうかと壮はしばし悩んだ。告白なんて初めての体験だったから、緊張もした。
これが二人の馴れ初めだった。

          ◇     ◇     ◇

 井上至統(いのうえよしつな)は壮の中学からの友達である。
 気のいい男で、多くの友人関係を築いている。容姿、成績共に並。多少運動が得意なくらいで、履歴書には平凡な経歴しか記されないだろう。
 しかし、なぜか印象に残る男だ。なんというか、振る舞いや言葉に自信が満ち溢れているようで、人を惹き付ける力がある。面接で強いタイプだ。
 壮は少し苦手にしていた。嫌いではないが、常にペースを握られているような気がして困る。
 だからこの日の昼休みも、壮は正直至統との昼食に乗り気ではなかった。
「カジ、どうしたの?」
 至統は弁当箱から顔を離し、壮に問いかけてきた。
「いや、別になんでもない」
 首を振り、ごまかすように焼きそばパンを頬張る。
 至統は肩をすくめ、
「僕に気があるとか?」
「何でそうなるんだよ。そんな趣味はない」
「じゃあなんで僕とメシ食ってんのさ?」
「お前からこっちに来たんだろ」
「そうじゃなくて、藤村と食べればいいのに」
 壮は言葉に詰まった。
 至統は首を傾げ、
「最近どうなの?」
「どうって……」
「藤村とさ。うまくいってる?」
「まあ……それなりに」
 言われて壮は都古のことを思い浮かべる。
 告白から一ヶ月。二人はそれなりの関係を続けている。
 何度か一緒に帰ったり、休日にデートもした。あまり喋りが得意ではないらしく、必要最低限な会話しかしなかったが、壮は、おとなしく控え目な娘がタイプなので、むしろ好ましかった。
 まだはっきり返事をしたわけではないが、壮の心は八割方付き合う方向に傾いている。
 至統が都古の相談を受けて、一ヶ月前のあの場を作ったわけだが、それに関しては壮は何も目の前の友人に言っていない。礼の一つでも言うべきなのだろうが、至統はあまり気にしないようにも思える。
 代わりに言ったのは別のことだ。
「あの子、普段どんな感じなんだ?」
 これを訊くためにわざわざ昼食を共にしているのである。壮は己にそう言い聞かせた。
 至統はきょとんとした。口の中の唐揚げを噛み潰し、ゆっくりと呑み込む。
「何?」
「だから、普段の様子だよ。何か他と違ったりとか」
「趣味とかかな。本人に聞けばいいんじゃない? ていうか、聞いてないの?」
「テレビドラマが好きらしい。他には特に聞いてない」
 至統の目が細まる。
「……何やってんのさ。君ら本当に付き合ってるの?」
「まだ付き合ってるわけじゃない」
「まだ、ってことは付き合う気はあるんだね」
「……」
 即座に返されて、壮は押し黙る。やっぱり苦手だこいつは。
「……なんか、わからなくてな」
「相手のことが?」
 頷くと、至統は肩をすくめた。
「わかり合うのはこれからじゃない?」
「いや、そうなんだけど……あの子、なんか隠してるように見えるんだ」
 そうなのだ。
 壮は都古の振る舞いに小さな違和を感じていたのだ。
 話すとき、触れ合うとき、都古は極端におとなしい。というより無口になる。聞けば答えるし、話を振れば合わせてくれる。しかし基本的に口数は少なく、物言いもはっきりしないことが多い。
 そういう性質だと言えばそれまでだし、それだけなら壮にとって別に気にかかることではない。
 しかし、都古の所作はどこか変だった。
 どこがと訊かれると、はっきりとは答えられない。
 ただ、例えば会話の途切れた後にふと見ると、なぜか顔を曇らせていたりするのだ。疑問に思って尋ねてみると何でもないとばかりに首を振るだけで、答えてはくれない。
 あまり心眼は鋭くないが、その表情は何かに悩んでいるように思えた。
 始めは自分に問題があるのかもと自己を省みたが、特に思い至ることはない。
 ならば都古自身の問題か。彼女に何か悩みがあって、それは知られたくない類のものなのかもしれない。
 あくまで想像内の話だ。
 それでも気のせいと言うには、あの表情は深刻に過ぎるように見えた。
「あんまり好きでもないの? ひょっとして」
 言われて壮は眉をしかめた。
「なんで」
「嫌ってはいないけど、決定的に好きになるほどの理由がない。そういう風に見えるよ」
「……」
 全てを見抜かれているような気がした。壮は諦めたように溜め息をつく。
 自信家というわけでもないのだろうが、至統はこの言い切りの力が強い。自身の直感的な眼力がおおよそ見誤らないことを、自信ではなく事実として捉えているのかもしれない。
 それは、おそらく正しい。
 苦々しく思わないでもないが、壮は素直にそれを受け止めていた。
 付き合う方向に八割傾いた理由。それは多分に都古自身には関係ないのかもしれない。なぜなら、それは都古そのものを見てのものではないからだ。
 おとなしい性格。控え目な態度。かわいらしい容姿。そういったものがたまたま自分の好みにマッチしただけで、壮はろくに相手のことを知らない。
 それは少し恋愛とはズレているのではないか。もっと本質的な部分で相手を好きになる、そんな深さが足りない。
 別にそれがなしだとは思わない。海のように深い愛情がなくても、浅瀬でパチャパチャ遊ぶ恋愛も存在する。どちらかというと児戯やごっこに類する。往々にして楽しかったりする。
 しかしそれでは相手の本気に応えられない。本質に関わる残りの二割は決して軽くない。
 ならばはっきり断った方が彼女のためなのかもしれないが、その選択肢は壮の頭の中にはなかった。結論を出すためにまずは理解しようと思ったからだ。
 今のところ理解は深まっていない。
「違和感を覚えているのか……」
 至統は一人ごちると、水筒からコップにお茶を入れた。落ち着いた動作でそれを飲み込むと、気楽な口調で言い切った。
「カジ。君はとてもいい奴だから、藤村とも絶対うまくいくよ。保証する」
「な、なんだよ急に」
「そのうち違和感なんて綺麗になくなると思う。喉に引っ掛かった魚の骨みたいなものだ」
「……そうだといいけどな」
 壮は曖昧に答える。
「藤村が仮に何か隠し事をしていたとして、それは多分君に許せないことではないんじゃないかな。君は優しいから」
「……気持ち悪いな。何か知ってるのか?」
 どうにも含みのある言い方に、つい疑念が生まれる。実はこいつはその隠し事とやらを知っていて、自分に黙っているのではないか。
 壮は悪人を見るような、疑いの目を向ける。
 至統は少しも動じなかった。
「今日は帰りどうするの?」
「さあ。向こうが誘ってきたら付き合うけど」
「たまには自分から誘ってみたら? きっと喜ぶよ」
 それは、考えの一つとしてあった。
「そうしてみるよ」
「頑張れ。実際さ、好きかどうかは別にして、藤村のこと結構気に入っているんでしょ」
 また言い切られた。
「他の人なら簡単にOKするところだけど、君は変に真面目だから、真剣に向き合おうとする。今は気持ちを整理してる段階かな」
「おい」
「ホントいい男だなー。藤村もそんなところに惹かれたのかな?」
 この男にしては軽い口調だった。ひょっとして、からかわれているのか?
 壮は焼きそばパンを一気に口に入れると、あっという間に嚥下した。
「……ほんっと嫌な奴だよお前は」
 至統はおかしそうに笑った。

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