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幼馴染みとエプロンと・2


 放課後。
 夕焼けに覆われたアスファルトの上をぼくと紗枝は歩いていた。
「え、うちに来るの?」
 頷く幼馴染みにぼくは戸惑った。それは、ちょっと、
「……」
「いや、変なことなんて考えてないけどさ」
 紗枝は玲瓏院流という古武術の有段者である。襲ったりしたら白打と蔓技でボコボコにされる。そもそも彼女に対してそんなことをする気はない。
 紗枝は右の親指をぐっと立てて見せた。
「なら問題ないって……まあいいけど」
「……」
 夕日の下、紗枝は無表情な小顔を微かに緩ませた。
 その微笑は幼年の頃を思い起こさせるような懐かしい顔だった。
 普段から無口で、学校ではほとんど無表情で、紗枝は本当に何を考えているのかよくわからない女の子だ。
 そのくせ他人の世話をよく焼き、誰に対しても真摯に接するので、周りからはとてもよく慕われている。
 そんな紗枝が、かつてはいつもぼくの後ろに隠れていたなんて、誰が想像できるだろう。
 無口で引っ込み思案な性格だったため、なかなか友達ができなかった昔。それを助け、フォローするのはぼくの役目だった。
 そんなぼくにたまに見せてくれた表情が、今目の前の微笑だった。
 無表情な彼女が見せる精一杯の笑顔。とても大好きな顔だ。
「シチューが食べたいな。じゃがいものたくさん入った」
 ぼくの言葉に紗枝は微笑んだまま頷いた。


 家に着くと、紗枝は鞄からエプロンを取り出した。
 紗枝がぼくの家で着用する、そっけない白のエプロン。
 ぼくはそれを見た瞬間、心臓が高鳴って息が詰まりそうになった。
 それは甘利紗枝が甘利紗枝でなくなる変身スーツなのだ。
 そして変身した彼女は、ぼくだけの無敵の存在になる。
 藍色の制服の上から、紗枝がエプロンを着けた。ワンピースであるために、なんだかメイドみたいな格好だ。足りないのはカチューシャだけ。
 瞬間、紗枝の目が夢から覚めたみたいに大きく開かれた。
 そしてぼくに相対するや、ぺこりと頭を下げた。
「お久しぶりです、風見(かざみ)さま」
 いつもはまず聞かない声が涼やかに放たれた。
「久しぶり。冴恵(さえ)」
『変身』した彼女はにこやかに笑う。紗枝にはありえない表情。
 と、
「えいっ」
 いきなり首に抱きつかれた。
「うわっ!」
 小さな体をなんとか支える。柔らかい胸の感触が心臓に伝わる。
「ちょ、ちょっと」
「寂しかったです、ずっと会えなくて」
 頭を肩に乗せて頬を寄せてくる冴恵。穏やかな匂いがぼくを惑わせる。
「わかったから、ちょっと離れてくれ」
「くっつくのイヤですか?」
「そうじゃないけど、帰ってきたばかりで着替えてないし、鞄も置きっぱなしだからさ、ちょっと待ってて」
「わかりました。じゃあ私、下で待ってますね」
 ぼくは冴恵をリビングで待機させると、二階の自室へと戻った。
 着替えながら、下で待っている彼女のことを思う。
 冴恵はあの白いエプロンに憑いている精霊だ。……たぶん。
 確証が得られないので明言は避けるが、本人に言わせるとそういうことらしい。
 出会ったのは一年以上前。フリマで見かけたエプロンをたまたま購入して、それを見た紗枝がひどく気に入ったのでプレゼントしたのだ。
 早速身に付けた紗枝は一瞬で様子が変わり、あの『冴恵』が現れたのだった。
 急にご主人様呼ばわりされた時は紗枝がふざけているのかと思ったが、開く口から次々と放たれる明るい言葉に、ぼくはそれが紗枝じゃないことを確信した。
 事情を聞いてみると、冴恵は自分がいつ生まれたのかわからないらしい。精霊というのもなんとなくな自己感触でしかなく、怪しいものだった。
 ただ彼女は、特定の誰かのために尽くすことを使命のように思っているらしく、ぼくのために尽くしたいと言ってきた。
 お願いします、どうか見捨てないで下さい、必ずあなたのお役に立って見せますから。
 冴恵が涙を流しながら訴えるのを見てぼくは怯んだ。幼馴染みの姿で幼馴染みにありえないことをされると不気味というか、凄まじい違和感を覚えた。
 それでも少し気の毒に思ったので、ぼくは彼女の申し出を受けた。
 思えば安請け合いしたものである。ある問題をすっかり失念していた。
 冴恵はエプロンを誰かに着てもらわないと現出できないのだ。
 要は自由にできるボディがいるのだ。誰かの体を借りなければ彼女は何もできないのである。
 タンスの中に押し込んでおけば実質封印できるので、彼女から逃れるにはそれはむしろ好都合な点だった。
 しかしタイミング悪いことに幼馴染みがそれを気に入ってしまい、プレゼントして以来度々着用するのである。
 その度に冴恵は紗枝の体を使い、ぼくに仕えるようになった。
 プレゼントしたエプロンを今更取り上げるわけにもいかず、結局そのままにしてある。
 悪事を働くわけでもなく、むしろパーフェクトなまでに身の周りの世話をしてくれるので、有用なことこの上ないのだが、やはり幼馴染みの姿形に違和感ありありである。
 まるで幼馴染みがぼくだけの専属メイドになったかのようで、たまらなく邪な心が時折沸いて出てしまいそうだった。
「そりゃ嫌じゃないけどさ……」
 知らず一人ごちる。
「ありがとうございます」
 背後から急に返されてぼくは振り返る。
「お茶をお持ちしました、風見さま」
「ノックぐらいしてくれ……」
「したんですけどお気付きになられなかったようで」
「……」
 ぼくは首を振って、ごまかすようにベッドに倒れ込んだ。自分の子どもっぽい行動が少しだけ恥ずかしかった。
 程よい温度の紅茶を飲みながら、ぼくは目の前のメイドを眺める。
 にこにこと笑顔を浮かべながら正座する冴恵。なんだかぼくの側にいられるだけで幸せといった様子だ。
「風見さま」
「何?」
「今日は何時までよろしいのですか?」
「親が帰ってくるのが十一時くらいだから、まあその前までかな」
「ならあと四時間はありますね」
 嬉しげに笑う冴恵。
「夕食はシチューとポテトサラダを作りますね。お風呂はさっき準備しましたので、あと二十分もすれば入れますよ」
「ありがとう。でも大丈夫? 久しぶりで結構疲れたりしない?」
「優しいですね、風見さまは。でも大丈夫です。私、あなたのためなら疲れませんから」
「……」
 顔が熱くなる。面と向かってそんなことを言われると、なんというか、
「照れました?」
「……からかわないでくれ」
「本気でもありますよ?」
「……」
 嘘はないようだった。
「……あのさ、どうしてそこまでぼくのために」
「ご主人様だからです」
 即答だった。
 それからふと砕けた声音に変わり、
「……でも、今は少し違うかもしれません。風見さまだからこそ私は頑張ろうという気になるんだと思います」
「……どういうこと?」
 冴恵は自分の耳を恥ずかしげに撫でた。
「これまでほとんどのご主人様は、私に優しい言葉なんてかけてくれませんでした。でも風見さまは私を対等に見て下さっているように思って、すごく嬉しかったんです」
 あんまり昔のことはよく憶えていないんですけどね、とごまかし笑いをする。
「だから私、風見さまのために一生懸命頑張ります。お望みでしたら、夜伽の方もお世話させていただきますよ」
 ぼくは思わぬ言葉に紅茶を噴き出しそうになった。なんとかこらえようとして喉の奥に引っ掛け、激しく咳き込んだ。
「だ、大丈夫ですかっ?」
「だ……だい、じょうぶ」
 ごほっ、ごほっ、と何度か咳き込み、時間をかけて持ち直した。
「急に変なこと言わないでくれ。夜伽って」
「そんなに変なことですか?」
「いや、その、」
 冴恵の顔が真剣な色を帯びていく。
「風見さまは私の申し出に応えてくれました。私が思い出せない名前を代わりに考えてつけてくれました。あなたに尽くすことが私は好きなんです。尽くせることが嬉しいんです」
「……」
「あなたが私の体を求めるなら、私はいつでも、いくらでも差し出します」
 冴恵の目には混じりっけのない純粋な想いがこもっていた。
 小さいながらも健康的に発達した体のラインが服の上から窺える。
 ぼくは小さくため息をついた。
「駄目だよ。絶対に駄目」
「なぜですか?」
「その体は紗枝の、ぼくの大切な幼馴染みのものだ。それを傷付けることはできないよ」
「――」
 はっとなった冴恵に、ぼくは微笑みかけた。
「君が実体を持っていたらまた別だけど、その体でいる以上は、その点は譲れない」
 大切な幼馴染みを欲望だけで傷付けるなんて、ぼくにはできなかった。中身や外身の問題でなく、ぼく自身の想いの問題だ。
「……」
 冴恵はしばらく何も言わなかったが、やがてにっこりと満面の笑みを浮かべた。
「紗枝さんを大事に思っているのですね」
「うん」
「やっぱり風見さまは私にとって最高のご主人様です。すばらしいです」
 別にすばらしくはないが、冴恵は納得したようだった。うんうん頷いて勝手に自己完結してしまっている。
「あ、でも、一つだけわがまま言っていいかな」
「? なんですか?」
「シチューはじゃがいも多めでお願い」
 冴恵はきょとんとして固まった。
 だがそれも一瞬で、理解が及ぶやすぐに花のような笑顔を咲かせた。
「――はいっ」
 幼馴染みの小顔がより一層輝くようだった。



 翌日。
「おはよう、紗枝」
 玄関を出てすぐ向かいの家から出てきた幼馴染みに、ぼくはいつもどおり挨拶をした。
 紗枝もすぐにこちらに気付き、ほっそりした右手をひらひらと振って返してきた。
 もちろんその体にはエプロンなんか着けてなくて、
「少し寒いかな。風邪とかひいてない?」
 ふるふると首を振る彼女は、昨日とはちがって無口なままで、
「……」
「え、今日もお弁当作ってきた? じゃあまたいっしょに食べよう」
 世話を焼く辺りはあまり昨日と変わってなくて、
 それだけを見ればあのメイドさんはやっぱり演技なのではないかと疑ってしまう。
 それでも構わないと思う。エプロンを着ければ彼女は現れ、それ以外はいつもの幼馴染みでいてくれる。問題はない。
 エプロンを着けてる時だけ、学校で頼りにされている優等生じゃなく、ぼくだけの無敵のメイドになってくれる。誰も知らない秘密だ。
「多めに作ってきたの? ああ、折本たちの分か。後羽さんのだけでよかったと思うけど」
「……」
「いや、あいつは単に食い意地張ってるだけだ。断じてクリームコロッケは譲れん!」
「……」
「子どもっぽくてごめんなさい。あー、でも後羽さんにならコロッケ取られてもいいかなー」
「……」
「い、いや、別に気があるわけじゃないって。ようやくかわいい後輩に恵まれた感が強くてね。うん、妹に欲しい」
「…………」
「じ、冗談だよ。そんなに怒るなって」
 いつもと変わらないやり取りをしながら、ぼくらは登校する。
 朝日が冷たい空気を吹き飛ばすように上がっていく。白い息も、小鳥のさえずりも、毎朝と同じ光景だ。
 小さな秘密を抱えて、また今日も、一日が始まる。

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