BACK INDEX NEXT

矛盾邂逅・後編(5)


「間に合ったかな」
 依澄はあっけに取られたように、青年の安堵する顔を見つめる。
 彼は言霊で眠らせたはずだった。常人なら丸一日は目を覚まさないはず。しかし由樹は何事もなかったかのようにそこにたたずんでいる。
「なんでここにいるのかって顔だね」
 由樹は、俺もよくはわからないんだけど、と前置きをしてから答えた。
「依澄さんが危ないって思って、そしたらいつの間にか目が覚めたんだ。すぐに外に出て、なんとなくこっちに来てみたら危ないところだったから」
 まったく要領を得ない説明だったが、依澄には思い当たることがあった。“感染呪術”だ。
 接点を持ったもの同士は、以後もそのつながりを維持するという考え方だ。呪いをかけるときに対象の持ち物を媒介にする手法は、この考え方に由来する。そしてそれは物だけではなく、人にも当てはめることができるのだ。
 昨夜、傷を癒すために2人は関係を持った。それによってつながりができているのだ。おそらくそのつながりを通じて、由樹はこちらの異変に気づいたに違いない。依澄の方は戦いに集中していたために気づくのが遅れたが、こうして由樹に意識を向けると、たしかに霊的なつながり――パスが通っているのを感じることができた。
 しかし、依澄は由樹の登場を喜ぶわけにはいかなかった。彼の霊的な抵抗力は常人のそれと変わりないレベルなのだ。今ならパスを通じて依澄の霊気を送り込むことができるので、少々の傷を受けても治癒できる。しかし首を斬られたら? 腕や脚を斬り落とされたら? 肉体の直接的なダメージまでは、依澄には治せない。
 それだけではない。肉体は無事でも、魂に深い傷を負ってしまったら、たとえ霊気を送り込んでも治せないだろう。昨夜のような切り傷ならともかく、両断などされてしまったら、治癒する間もなく即死する。深手を負った魂はその存在を保てなくなるため、消滅する。消滅したらあの世にすら行けなくなるのだ。
 絶対に由樹を戦わせるわけにはいかなかった。昨夜のような突発的な状況とは違うのだから。
 依澄は由樹を止めようと顔を上げ、
「ここでさっきみたいに動きを封じられたら、さすがに困るんだけど」
 その言葉にはっとなった。
 言霊を使う以外に彼を止める方法はないだろう。しかし言霊で縛り付けてしまうと、結界に守られていた屋敷内とは違い、妖刀の格好の餌食になる。
 由樹がここに現れた時点で、依澄にはもう彼を止める術はなかった。
 そんな苦渋の表情を浮かべる依澄に対して、由樹は笑った。
「まあ、何の考えもなく来たわけじゃないからさ、見ててよ。悪霊退治は任せるから」
 言うが早いか、由樹は駆け出した。
 態勢を立て直した妖刀が、切っ先を二人のいる方に向ける由樹と依澄、どちらを標的にしているのかはわからないが、とにかく相手は戦闘態勢に入っている。真正面から仕掛けるつもりなのだろうか。それはいくらなんでも無謀すぎる。
 やっぱり止めるべきか。そう思った矢先に、由樹は体をわずかに沈めて、地面に落ちてあるものを拾った。
 すくい上げるように右腕に抱えたそれは、先ほど投げつけた漬物石だった。普通なら両手で持ち上げるのがやっとの重量だが、由樹はまるでバスケットボールか何かのように軽々と右手で扱っている。
 そして、その重量物をそのまま刀に向けて叩きつけた。
「!」
 その勢いに押されて、刀が虚空を舞う。依澄の目には、刀を構えた男がふっ飛ばされる光景が映っていた。
 その刀に向かってさらなる追撃を仕掛ける由樹の姿に、依澄は彼の狙いを理解した。
 単純に、刀そのものを破壊する気だ。素手では難しいので、頑丈なもので叩き壊すつもりなのだろう。たしかにあの漬物石の大きさなら、細い刀身を折ることくらいはできそうだ。相手がただの日本刀ならばの話だが。
 生きているかのように動き回る刀を破壊するのは至難の業だ。それは由樹もわかっているはず。なのにそれを試みるというのは、何か秘策があるのだろうか。依澄は、それまでとは違い、青年の姿をどこか焦がれるように見つめた。そんな自分の心持ちに気づいて、戸惑う。なんだろう、この感情は。
 由樹は粉雪が降りつもる情景の中で、躍動する。
 剣撃を半身になってかわし、刀身の根元めがけて石で殴りつける。それを刀はすんでのところでよけるが、由樹の追撃は止まらない。二度、三度と灰色の塊を振るう。何十キロもあるだろう石を、バスケットボールどころかゴム毬のように無造作に扱う姿は、ともすればシュールな光景だったが、刀の殺気は今も垂れ流しのままで、そのプレッシャーをものともせずに攻勢に出るというのは、生半なことではなかった。
 攻勢に出る一方で、相手の剣撃をぎりぎりでかわす。かろうじてといった様子ではなく、最小限度の動きでよけている。下段から伸び上がるように繰り出される突きを半身になって避け、一文字に振り切られた斬撃を身を沈めてかわしながら、同時に刀身の側面に一撃を叩き込む。
 昨日とは動きが違う。まるで相手の剣筋を見切っているかのようだ。
(いえ、「よう」ではなく、本当に見切っているのでしょうね)
 たった一度の対峙から。
 だが、
「!」
 態勢を立て直した妖刀が反撃に転じた。わずかに間合いをとったかと思うと、上段から綺麗な弧を描き、これまで狙っていた由樹の体ではなく、漬物石を両断して見せたのだ。由樹が驚いたように目を見開き、バックステップで下がる。
 刀は間合いを取らせない。唐竹割りから一転、下から浮き上がるように鋭い突きを繰り出す。由樹はそれを後方宙返りでかわすと、着地の反動を利用して刀の柄の部分めがけて蹴り上げた。妖刀はそれをまともに受けて、またもふっ飛ばされる。刀一本分の質量しか持たないために、衝撃を受け止めても踏ん張ることができないのだろう。人間相手ではこうはいかないが、なまじ実体を伴っているために、直接打撃に弱いのがこの刀の弱点だった。
 それでも依澄の目には、圧倒的に刀有利の状況に見えた。武器を失った由樹に、勝ち目はない。
 由樹は無言で後方へと下がる。
 彼の立っている場所は畑の端だった。すぐそばに直径2メートル近い大きさの岩があった。一見すると畑には邪魔なものに見えるが、横に平たい面を持つので腰掛けや物置き場にちょうどいい。普段は農作業の際の休憩場として利用されているのだろう。
 その岩に、由樹は両腕を回した。
 まさか、と依澄が思った直後、青年の双腕が岩を持ち上げた。
 先ほどの漬物石などよりもはるかに大きく、重い。1トンではきかないだろうその塊を、由樹は軽々と抱え上げ、さらに刀に向けて突進していった。
 こんなわかりやすくも馬鹿馬鹿しい攻撃方法があっていいのだろうか。由樹のスピードはまるで落ちない。発泡スチロールか何かでできているのではないかと錯覚を起こしそうなほど、いとも簡単に扱っている。もちろんそれは見た目の話で、その岩が超重量の物質であることは疑いようがない。そのまま叩きつければ刀どころか、乗用車すらたやすくスクラップにできるだろう。
 構えなおしていた妖刀が、岩に向かって斬りかかる。
 ぎぃぃんっ……と甲高い金属音とともに、斬撃が弾かれた。
 今度は漬物石のようにはいかなかった。由樹の胴体をすっかり隠してしまうほどの大きさの岩を、さすがに一刀両断はできないようだった。由樹は予想通りなのか、不敵な笑みを浮かべた。
 弾かれて地に伏した刀に、持ち上げた岩をそのまま振り下ろす。
 刀は浮き上がってそれをかわすと、上空に逃げた。
 霊体は浮遊能力を持つのが一般的だ。この妖刀も悪霊自身が持つ能力によって、宙に浮くことができるのだろう。それは単純だが、対人戦では大きなアドバンテージになる。どんな生物でも、頭上は死角になる。由樹もこのような相手と戦った経験などあるわけがない。そして下から上へ向けての攻撃は、どうしても威力が落ちてしまう。
 由樹の真上で、刀がぴたりと静止した。斬りつけるか、あるいはそのまま串刺しにする気か。
 依澄はそれをただじっと見つめている。
 見殺しにするつもりはなかった。依澄は刀の動きを止めようと構えて――やめた。
 パスを通じて、由樹の余裕が伝わってきたからだ。
 後から振り返っても、なぜこのとき自分が援護を手控えたのか、依澄はわからなかった。由樹の余裕はたしかに感じ取れたが、刀の動きを止めることは優先順位としては最上位だったはずだ。それを抑えてまで由樹の好きにさせたことは、本当に正しい判断だったと言えるのか、彼女にはわからない。
 だがそれは、彼女がこれまで感じたことのない思いがさせた行動ではなかったか。
 ずっと他人を優先してきた彼女が、初めて覚えた“期待”という感情が、それをさせたのなら、それはつまり――
 由樹は斬撃のタイミングに合わせて、岩を真上に投げつけた。
 刀はそれをよけない。鈍色の刀身が光の反射で閃くと同時に、巨大な岩を真っ二つに斬って落とした。
 タイミングさえ合えば、その刀に斬れない物はないのかもしれない。見事な動きに、依澄は息を呑んだ。そのままの勢いで岩の向こう側にいる青年も斬りつけようと殺到する。

 その先に、青年の姿はなかった。

 岩をブラインドにして、いつの間にか刀の頭上――悪霊の背後に回りこんでいた由樹は、刀身の根元目掛けて、渾身の力を込めた蹴りを叩き込んだ。
 上から下に、打ち下ろすように放たれた一撃は、刀を蹴り飛ばしさえしなかった。刃の部分だけを正確に叩き折ったために、依澄の目にはその蹴りが打撃ではなく、それこそ斬撃のように映っていた。
 その瞬間、刀に捕らわれていた多くの魂が、開放されて拡散していった。依澄はその中にまぎれて逃げようとする目標を見つけると、すぐさま霊気を飛ばして拘束した。その様子は霊感の弱い由樹の目にも、パスを通じて見えていた。霊気でできた細い糸のようなものを飛ばして、悪霊をがんじがらめにして捕縛する。
 刀から解き放たれた魂が、次々と成仏していく。魂が一瞬の輝きを放って消えていく様子は、北方で観測される氷の煌きのようでもあった。由樹はその光景を放心したように眺めていた。
 依澄は拘束した悪霊をお札に封じ込めると、ライターで火をつけた。
 お札という器に封じ込めて動けなくさせたところで、依澄の霊気が込められた炎で、器ごと燃やす。炎は霊体そのものを焼き尽くすので、成仏さえ叶わず消滅させることができる。
 普段の依澄ならこんな冷酷なことはしないだろう。だが、今回の相手は説得や矯正ができる相手ではなかった。何より脅威だった。由樹がいなかったら、とても1人で除霊できたとは思えない。
 灰となって散っていく様は、なんともあっけないものだった。周りを見ると、いまだ成仏できずにいる魂がうろうろとさまよっていた。長年囚われていたために、あの世への行き方を忘れてしまったのだろう。現界に留まっているとよくあることだ。
 依澄はそれら数十の魂に言霊を与える。この世の縛りから開放される安らぎの言葉を。
 言霊に導かれて、残りの魂が一つ、また一つと消えていく。
 無事にすべての魂が成仏したのを見届けると、依澄はその場に膝をついた。
「依澄さんっ!」
 心配げな青年の声を遠くに聞きながら、依澄はそのまま雪の上にばったりと倒れ伏す。
 どうやら今ので霊力を使い果たしてしまったらしい。
(でも)
 依澄は安心していた。
(刀にとり憑いていた悪霊は滅しました。囚われていた魂はすべて成仏できたみたいです。由樹さんにも大きな怪我はなさそうで、本当に良かった)
 ありがとうございます。気を失う寸前、依澄は小さくつぶやいた。
 それはか細い声だったが、しっかりと由樹の耳に届いていた。
「……おつかれさま」
 由樹はくずおれたその細い体をいたわるように抱き上げ、ねぎらいの言葉をささやいた。

BACK INDEX NEXT