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矛盾邂逅・後編(3)


 元来た道を辿って森から出ると、頭上に気配を感じた。
 依澄は咄嗟に傘を投げ捨て、横に転がるように倒れ込んだ。上から降ってきた刀が直前まで立っていた空間を鋭く斬り裂いた。
 刀は続け様に横凪ぎの一閃を繰り出して襲いかかってくる。
 倒れこみながらも一呼吸の準備を整えた依澄は、

『――迷え』

 ささやいた。
 すると刀は目測を誤ったかのように、見当違いな方向を斬りつけ始めた。
 その隙に、立ち上がって駆け出す。
 刀は酔っぱらったように周りを旋回していて、まともに追ってこられない。
 依澄は駆けながら、高鳴る心臓を僅かな呼吸で抑えつける。緊張が深い。
 術と言霊の併用で今のようにめくらましくらいはできる。しかし依澄には、刀そのものを相手取ることができない。
 相手は日本刀という、物理的な威力を誇る存在である。いわば武力暴力を振るう類。対して依澄は、それに対抗できる暴力を持ち合わせていない。彼女はあくまで巫女であり、霊能者である。暴力は専門外なのだ。霊的な対処しか彼女にはできない。
 まともに相手をしないのが得策だ。刀に憑いている悪霊に直接働きかけるのが望ましいだろう。しかし準備はまだ整っていない。
 応援を呼んでいる暇はなさそうだ。依澄は電話を探すのを諦めて、刀と対決することにした。
 迎え撃つにはもう少し開けた場所が望ましい。集落地や森の中ではなく、辺り一面を見渡せるような平野が。
 依澄は駆け出す。木々に囲まれた山道からアスファルトで舗装された公道に出る。決して整ってはいない凸凹の目立つ道路を駆け抜ける。たどり着くまでにどれくらいの時間がかかるだろう。刀はまだ追ってきてはいないだろうか。背中の向こうから今にも斬りかかられそうな、そんな重圧を感じる。
 当たり前だが、斬られたら死ぬ。
 そのことに依澄は恐怖する。
 死は怖い。周りの人が悲しむから。
 依澄は人のために生きている。誰かのために命を投げ出すことを厭いはしない。だが、無駄死にだけは避けなければならない。この命は誰かのために使ってこそ意味がある。なにより、自分には大切な人たちがいる。こんなところで死んでしまったら、その人たちに申し訳が立たない。
 今できることを全力でやり遂げる。依澄は着物の裾を持ち上げながら、懸命に走った。もっと動きやすい服が望ましかったが、持ってきていないので仕方がなかった。着物は普段から着慣れているが、やはり荒事には向かない。
 集落の真ん中を突っ切って、村の入り口方面へと向かう。昨日、ここに来るときに確かに見た。
 幸い、途中で追いつかれることなく目的の場所にたどり着いた。もちろん油断はできない。依澄はすぐさま態勢を整える。
 そこは畑だった。普段は何を栽培しているのだろう。農作物の知識に乏しい依澄にはわからない。目立った作物は見当たらず、雪景色が一面に広がっているだけだ。
 周りに視界をさえぎるものはない。ある程度気配を感じ取れる依澄なら、相手がどこから襲ってきても対処できる。刀そのものではなく、とり憑いている霊に目を向ければ――
 果たして、それはやってきた。
 真正面からだった。何の小細工もなく、鈍色の切っ先が依澄に向かって矢のように飛んできた。その速さは飛燕の如しで、普通ならよけるどころか、視認することも困難だっただろう。
 依澄はよけなかった。
 ただ、静かに口を開いた。

『――止まれ』

 刀の突進が止まった。
 言霊による拘束は強力だった。刀は凍りついたように依澄の目の前1メートルの地点で止まり、動けずにいた。
 依澄はその刀の柄の部分を見つめる。
 柄を“握っている腕”を見据える。
 その刀は、いわゆる付喪神の類ではなく、とり憑いた悪霊が操っているようだった。目を凝らしてみると、依澄にはその刀を握り締める男の姿が見える。
 腕から肩に。肩から胴に。胴から頭に。
 そして最後にその全身を見やった。
 壮年の男だった。背はそこまで高くない。着流し姿で、長い髪は整えられておらず、ぼさぼさだった。
 古い時代に生きた人間であることは、すぐに察しがついた。そして彼こそ、この刀の持ち主だとも。
 依澄は思わず息を呑んだ。
 その男から凄まじい妄執が伝わってくるのだ。重圧などというレベルではない。これは「その経験」があるものしか持ちえないであろう、強烈な怨念だった。
 殺気。
 もしかしたら現代人には備わらない類のものかもしれない。あまりにも時代錯誤な念を発している。
 これは恨みではない。妬みや嫉み、僻みといった、ありふれた負の感情ではなかった。
 この男は――

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