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縁の切れ目 言霊の約束・2


 依子は仰向けにベッドに倒れ込むと、ゆっくりと目を閉じた。
 窓から光が射す。閉じた目でも、その眩しさはしっかりと伝わってくる。
 とても静かだった。
 夜が明けても、結局縁視はなくなったままだ。
 それでも、確かにあの感覚は昨日まで存在していた。
 溜め息が漏れる。
(駄目だな、私……)
 自分はもっと明るい性格だったはずだ。それが今はどうだ。糸が見えなくなっただけでこんなにも不安定になっている。
 それだけ依存していたのだろう。あの糸を通して、依子はあらゆる関係を見抜き、理解してきた。
 人と人との繋がり、これからめぐり会う出来事との関係、ときには人の心さえも見通すことができたのだ。
 ものごころがついたときには既に持ち合わせていた力だった。それ故、見えることが当たり前すぎて、呼吸と変わらないくらい自然な感覚だった。
 それが急になくなってしまって、依子はこれからどうすればいいのか何もわからない。
 失明したわけではない。腕や脚がなくなったわけでもない。だが、あるいはそれと同等とも言える喪失感が胸に広がっている。
 お腹がぐう、と小さく鳴った。
「……」
 安物の目覚まし時計がカチ、カチ、と規則正しい音を立てている。短針は『10』の字を差している。
(こんなときにもお腹は空くんだよね……)
 夕べ、何も食べてない反動からか、お腹が少し痛かった。
 何か作ろうか。そう思ってキッチンを見やる。守によく料理を作ってやっていたので、造りは把握している。
「……」
 依子は動かなかった。思っただけで、起き上がることすらしなかった。
 錆びれていくような虚しさを抱えたまま、依子はただ柔らかなベッドに身を委ねていた。
 無気力な頭の中を巡るのは、再会した姉のことだった。


 しばらくして、守が戻ってきた。
「ただいまー……って、大丈夫?」
 虚ろに倒れたままの依子に心配そうな声をかける。
「……お腹空いた」
 思ったことをそのまま吐くと、守は小さく笑った。
「そう思ってパンと飲み物を買ってきたよ。一緒に食べよう」
「……うん」
 依子は体を起こすと、座卓に並べられた菓子パンとペットボトルの飲み物を見つめた。昔から好きなミルククリームのサンドパンがある。
 守は紅茶のボトルと合わせてそれを依子に差し出した。
「好きだよね、これ」
「……ありがとう」
 こんな些細なことを覚えているいとこに、少し驚く。
 袋を破り、パンをかじる。柔らかいミルクの味が口いっぱいに広がった。
「あのさ」
 ジャムパンを頬張りながら守が口を開いた。
「迷惑、だったかな?」
「え?」
「いや、急に依澄さんを呼んだりしてさ」
 依子は手を止める。
「……別にそんなことはないよ。いきなりだったから驚きはしたけど……」
「それならよかった。二人には仲良くしてもらいたいんだけど、依子ちゃんは会いたくないのかな、ってずっと思ってたから」
「そんなことない。でも……」
「でも?」
「私は実家にはいられないから、こっちから会いに行けないんだよ。向こうは忙しいし会う機会が」
 待って、と守が言葉を遮った。
「前から疑問だったんだけど、実家にはいられないってなんで?」
 依子は目をしばたたかせた。
「……言ってなかった?」
「聞いてないよ。」
「……」
 確かに言った覚えはなかった。だが当然知っていると思っていた。依澄か誰かが話しているものだと思い込んでいた。
 仕方ないか、と内心で呟くと依子は言葉を探した。
「えーと……簡単に言うとね、神守は一つの世代に一人の人間しかいてはいけないんだ」
「……?」
「『神守』を名乗れるのは一人だけなの。それ以外は『神守』を名乗れない。今だと、お姉ちゃんだけ」
「……どうして?」
「神を守り、神に守られるのは一人だけだから」
 胸が少し痛む。自分は選ばれなかったのだ。
 守はいぶかしげに眉を寄せた。
「それと依子ちゃんが実家にいられないのと何の関係が?」
「今から話すよ。わかりやすく話せるかどうか自信ないけど」
 軽く深呼吸して気持ちを落ち着かせると、依子は静かに語りだした。


「『神守』の役割はね、二つあるの。
 一つは霊能力を持って霊的な問題を解決すること。
 で、もう一つはその名が示すとおり、神様を守ること。
 緋水の神様についてはマモルくんも知ってるよね? 昔からこの辺り一帯を治めてきた神様。
 それを神守はずっと守ってきた。崇め奉り、保護することで、土地の安寧を得てきた。
 眉唾と言えばそれまでだけど、本当に力があるんだよ? 神守の力が強いのは、緋水の神様に力を借りてるからだもの。
 だから、神守は緋水の神様を守ると同時に加護を受けているの。
 ただし、緋水の神様の加護を直接受けられる人間は一人だけなの。
 つまり神守の当主だけ。当主はいわば巫女となって、正式に『神守』を名乗る。
 だから神守の名を持つ者は一人だけしかいない。
 本家が神守と呼ばれてるのに、苗字が緋水になっているのはそのためなんだ。お母さんも前までは神守だったけど、今は緋水姓になってるからね。
 たった一人の神守が、巫女となって神様を守る。本来概念でしかない神様を規定することで、神様という存在を守る。それが神守の役目。
 その見返りに神守は力を得る。名前によって神様からの加護を受け、その力を土地の平安に使う。
 ……言葉じゃどうしても嘘っぽくなっちゃうね。私も神様に直接会ったわけじゃないから確信を持って説明できるわけじゃないんだけど、まあとにかく。ここから本題。
 神守を名乗れるのは一人だけ。だからお母さんの後継は私かお姉ちゃんのどちらか一人だった。
 私は知ってのとおり才能がなかったから、当主にはなれなかった。
 正直悔しかったな……私ね、できればお姉ちゃんの助けになりたかったの。当主になれば、もうお姉ちゃんは私の面倒なんか見なくて済むと思ってたから。
 でも仕方ないと思ってる。何も問題はなかった。私が一つ諦めて、家族と普通に生きていくだけ――そのはずだった。
 お姉ちゃんが当主になることが決まって、ちょうどそのための準備をしていた頃だったかな。
 私は高熱に倒れた。
 病気じゃなかった。私は緋水の神様の力に当てられたの。
 私はお姉ちゃんに最も近い人間だったから、変に影響を受けてしまったみたい。
 お姉ちゃんの力が日増しに強くなっていくにつれて私の体調は悪くなっていった。
 力にあてられないようにするには二つの方法がある。
 一つは自身の魂の形を大幅に変えて、神守固有の魂の形をなくすこと。もう一つは単純にその土地から離れること。
 私には才能がなかったから、自身の魂操作さえろくにできなかった。
 だから、私には後者の方法しか手がなかった。
 お父さんはお母さんの『盾』だったし、お母さんも先代としてお姉ちゃんのそばから離れるわけにはいかなかったから、私は一人で実家を去らなければならなかった。
 ……もちろん哀しいよ。でも迷惑かけるわけにはいかないじゃない。あれ以上あそこにいたら、死んでたかもしれないしね。
 だから、ただそれだけだよ。私に才能がなくて、ちょっと巡り合わせが悪かっただけ。
 本当に、うん……それだけの話。


 喉が渇いたので、ペットボトルの紅茶を口元に傾けた。冷たさが心地よい。
 守が小さく頷いて、口を開く。
「依子ちゃんがこっちに移ったのはそれが理由?」
「うん。おじさんとおばさんには子供がいなかったからちょうどよかったみたい」
 まるで他人事のような言い種だな、と依子は思った。義父も義母もとてもいい人たちなのに。
 すると守が不審げに眉をひそめた。
「つまり、依子ちゃんは緋水の土地に入れない、ってことだよね?」
「うん……そうだよ」
「でも依澄さんはさっき、君に戻ってこないか尋ねた。どうして?」
「わからないよ……。私があそこにいられないのは間違いないことなのに」
「ひょっとして、もう大丈夫になったとか?」
 守のポジティブな意見に依子は首を振った。そんな簡単にいく問題ではないのだ。
「どうして大丈夫になったと思うの?」
「いや、依澄さんが言ったことだし」
 確かに言っていた。今のあなたなら大丈夫と。あれはどういう意味なのだろう。今の私なら?
 依子は考え込む。今の自分。縁の見えなくなった自分。何も持たない自分。そんな自分に何があって大丈夫なのか。
「あ」
 そのとき守が短い声を上げた。
「何?」
「いや、そういうことなのかな、って」
 よくわからないことを言う。
「……? そういうことって?」
「緋水の神様の力にあてられないようにする方法だよ。離れるだけじゃなく、もう一つ方法があるんでしょ?」
「え? うん、魂の形を変えて……あ」
 気付いた。その瞬間守と顔を見合わせた。
 緋水の神様の力にあてられるのは、神守固有の魂の形を保持してしまっているためだ。
 当主になるにあたって、魂が力を受け入れやすい形になっているわけだが、自身の霊能や魂をうまく操作できない依子はそのせいで悪い影響を受けてしまっている。
 だが逆に言えば、その形を変えてしまえば影響を受けなくてすむということである。
「私の魂が以前とは変わってしまっているから……もう影響を、受けない……?」
「だと思ったんだけど、どうかな?」
「……」
 迷いが生まれる。
 もしそうだとしたら、とても嬉しいことだ。もう二度と戻れないと諦めていたあの土地を、また踏めるのだ。
 だが、果たして受け入れてくれるだろうか。土地は、家族は、以前の私ではない私を認めてくれるだろうか。
「不安なら、ぼくもいっしょに行こうか?」
「え?」
 幼馴染みの申し出に依子は驚いた。
「大丈夫。何があってもいっしょにいるから。いっしょにいたいから」
 いとこの顔を見つめる。守はとても優しげに微笑んでいた。
 前から彼はこんな笑みを浮かべていただろうか。依子は戸惑う。縁が見えないために相手をうまく計れないことが、逆にその顔をより強く見せているような。
 不思議と安心できる笑みだった。とても不安なのに、守ってくれそうで。
「……うん」
 依子は小さく頷いた。

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