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縁の傷 沈黙の想い・9


 始業式の日、静梨は夏休み前と同じ笑顔で登校した。
 一部の事情を知っている友達は明るい様子に唖然としたが、立ち直った静梨に気を遣うことなく触れ合った。
 いとも簡単に、静梨は日常へと戻ることが出来た。
 午前中だけの式も終わり、静梨は帰宅の途に着く。
 校門を抜けようとしたところで呼び止められた。
「水本」
 振り返ると、同級生の森嶋佳孝が小さく手を上げていた。
 少しだけ、心拍が上がった気がした。
「森嶋くん」
 声は普通に出た。
 佳孝は少し緊張しているようだった。
「あの……」
「ここじゃ目立つから、隅に行かない?」

 人気のない校舎裏で二人は向き合う。
「ごめん、水本」
 最初の言葉は謝罪だった。
「……何が?」
 なんとなくわかっていたが、一応尋ねる。
「事件のことだよ」
「やめて」
 予想通りの答えに静梨は言葉を遮る。
「あれはあなたのせいじゃない。あなたに謝ってほしいのはもっと別のこと」
「え?」
 瞬間、静梨は右手を振りかぶり、無防備な佳孝の左頬にたたらを踏むほどのビンタを叩きつけた。
女の子らしからぬと自分でも思う一発に、佳孝は反射的に打たれた箇所を押さえる。
 佳孝は絶句したまま固まっている。
「はい、これでおあいこ」
 静梨はにっこり笑って言った。
「おあいこ……?」
「そう。これ以降あの日のことを蒸し返したら、二度と口利かないから」
「……わかった」
 静梨は楽しそうに笑む。
「なんで叩いたかわかる?」
「え? ……いや」
「森嶋くんが私の大切なものを奪ったからだよ」
「……?」
 人差し指を立てて静梨はゆっくりと答えを教えた。
「ファーストキスだったんだ、あれ」
「!」
「だから私は怒った。おもいっきりひっぱたいた」
「……」
 呆然となっている佳孝に、静梨はまた笑う。
「なんてね」
 あんまり深刻に考えない方がいいこともある。
「そういうことにしとこ? 私は森嶋くんにファーストキスを奪われたから怒った。それでいいじゃない」
 佳孝は目をしばたたかせていたが、やがてぎこちなく頷いた。
「……ごめん。初めてのキス、奪っちゃって」
「本当だよ。ビンタ一発で許してあげるんだから、感謝してよね」
 冗談めかした静梨の言葉に、佳孝は微笑んだ。
「……でも、俺は諦めないから」
「何を?」
「これからも水本を好きでいるってこと」
 二度目の告白をしてくる同級生を、静梨はまじまじと見つめる。
 守は静梨の想いを認めてくれた。一番じゃなくても、想いを寄せたり寄せられたり、それは決して悪いことじゃない。
 そんなたくさんの想いが、その人を支えてくれると思うから。
 だから私も認めてやろう。静梨は胸の裡で呟く。佳孝の想いも守の想いも、それぞれで認めてやろう。守がそうして見せたように。
 だからといって、
「私には他に好きな人がいるんだけどなぁ……」
 困ったように静梨は一人ごちる。簡単には割り切れないのも確かだ。
「でもその人も他に好きな子がいるし……片想いって切ないね」
 片想いの相手からそんなことを言われて、佳孝は小さく苦笑した。
「まったくだ」
 その同意に、静梨はおかしそうに笑った。



「マモルくん」
 スーパーを出たところで守は依子と出くわした。学校帰りなのか制服姿だ。
「……またカレー?」
 買い物袋の中身を見て、依子は呆れた声を出す。
「作ってくれる?」
「いいけど……今から?」
「学校終わったんでしょ」
 依子が頷き、守は嬉しそうに微笑む。そのまま並んで歩き出す。
 長い八月はもう終わってしまった。これから長い冬へ向けて、季節は移ろいゆく。まだまだ残暑は厳しいが。
「今度さ、実家に帰ろうと思うんだ」
「実家……緋水の家に?」
「うん。一応跡取りだから、色々話し合っておく必要があるんだ」
「そうなんだ。いつ?」
「冬」
「なんだ。まだ先だね」
「一緒に行かない?」
 依子は目を見開く。
 守は微笑み、
「依子ちゃんはさ、将来どうするの?」
「……まだわからない。私は本家にいられなくなったから、でも……」
「結婚とかは?」
 依子はおかしそうに笑った。
「いきなりどうしたの?」
「興味あるから」
「相手がいないよ。……でも、それもいいかもね。私をもらってくれる人いないかなー」
「じゃあ尚更実家に来てもらわないと」
「? どういう意味?」
「うちの親に挨拶してもらいたいから」
「何それ? マモルくんと私が結婚するみたいじゃない」
「イヤ?」

「…………え?」

 守が笑って何かを囁いた。それを受けて依子が珍しく慌てふためいている。
 夏の終わりを告げる風が、空を駆け抜けていった。
 季節はもうすぐ秋を迎えようとしている。
 草むらでバッタが一匹、キチキチと音を立てた。

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